【CEDEC 2010】スクエニ→DeNA、日本→世界・・・「イグアナ海を渡る」 | GameBusiness.jp

【CEDEC 2010】スクエニ→DeNA、日本→世界・・・「イグアナ海を渡る」

コンシューマーゲームの雄スクウェア・エニックス、ソーシャルゲームの雄ディー・エヌ・エー。両社は新宿の甲州街道沿いに本社を設け、その距離500m。しかし距離では測れない「マリアナ海溝のような深さが西参道口の交差点にはあり、開発者の交流は一切なかった」とか。

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コンシューマーゲームの雄スクウェア・エニックス、ソーシャルゲームの雄ディー・エヌ・エー。両社は新宿の甲州街道沿いに本社を設け、その距離500m。しかし距離では測れない「マリアナ海溝のような深さが西参道口の交差点にはあり、開発者の交流は一切なかった」とか。
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  • コンシューマーゲームの雄スクウェア・エニックス、ソーシャルゲームの雄ディー・エヌ・エー。両社は新宿の甲州街道沿いに本社を設け、その距離500m。しかし距離では測れない「マリアナ海溝のような深さが西参道口の交差点にはあり、開発者の交流は一切なかった」とか。
  • コンシューマーゲームの雄スクウェア・エニックス、ソーシャルゲームの雄ディー・エヌ・エー。両社は新宿の甲州街道沿いに本社を設け、その距離500m。しかし距離では測れない「マリアナ海溝のような深さが西参道口の交差点にはあり、開発者の交流は一切なかった」とか。
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コンシューマーゲームの雄スクウェア・エニックス、ソーシャルゲームの雄ディー・エヌ・エー。両社は新宿の甲州街道沿いに本社を設け、その距離500m。しかし距離では測れない「マリアナ海溝のような深さが西参道口の交差点にはあり、開発者の交流は一切なかった」とか。そんな壁を越え、facebook版『怪盗ロワイヤル』を開発した對馬正氏は「イグアナ、海を渡る。 〜ガラパゴスケータイからの脱却〜」と題した講演を行いました。

株式会社ディー・エヌ・エー システム統轄本部 對馬正氏


マリアナ海溝より深い西参道口


ちなみに「イグアナ」とは独自の進化を遂げた存在。海溝を超えた自身や、いわゆるガラケーから世界に飛び出したディー・エヌ・エーを比喩しました。

對馬氏は高校卒業後、1997年に当時のスクウェアに入社。『ベイグランドストーリー』やプレイオンライン向けタイトルに携わりました。その後は松下電器と共同で家電にゲームのUIを導入する「SEAD Engine」というプロジェクト(とん挫)やDSで誰もがゲームを作れる『GAME BRAIN』というプロジェクト(DSは中止、Flashで限定公開)に関わり、最後は研究開発部に所属しました。

その頃、スクウェアの報酬は適性なのか、外でどこまで出来るか試したくなり、他の会社の面接を受けたそうです。そこで気付いたのはスクウェアの給与水準の高さ。最終面接まで行っても給料が少なくて断念したそうです。それを和田社長に話したところ「伸びている時に高い給料を払うのは大切だが、伸び悩んでいる時は給料が高いと保守的になりイノベーションが起きにくくなる」という話があったそうです。そこである覚悟が決まったようです。

また研究開発部という職場は直接商品開発に携わるものではありません。Flashで公開した『GAME BRAIN』の際に、ユーザーの反応を聞きながら改善を繰り返していくという楽しさを感じた對馬氏は研究開発にギャップを感じ、2009年11月の早期退職の募集に応じて退社、ディー・エヌ・エーへと移ります。

当時、ディー・エヌ・エーとスクウェア・エニックス・ホールディングスの株価は2倍以上の差がありましたが、その後の一年間で逆転。「まさに沈みかけた船から脱出したネズミ状態」と自分を揶揄していましたが、「転職・起業しても同じ仕事をしていても意味がなく、成長産業に乗り換えれば、新しい業界には過去のノウハウが、古い業界にも私のような人間を通じてフィードバックが得られます。」對馬氏は最低でも週に一度は過去の同僚と会って情報交換をしているそうです。

1年間の株価推移早期退職で業界活性化


■イグアナ=怪盗ロワイヤル

ディー・エヌ・エーに転職した對馬氏は携帯電話で大ヒットした『怪盗ロワイヤル』のfacebook版を開発するというミッションが与えられます。イグアナが海を渡ります。同時にモバゲーの生みの親である川崎修平氏がiPhone版『怪盗ロワイヤル』の開発を開始します。正に一騎打ちの様相です。

海を越えるイグアナ川崎氏との一騎打ち


そこで愕然としたのは携帯版のソースを集めた時です。全く整理がされておらず、元データを集めるだけでも一週間くらいがかかったそうです。また、ソース中にテキストデータを直接書き込み、全員が同じアカウントでサーバーに接続し、さらにサーバー上にあるソースを複数人で直接編集するという「全く信じられない」事態になっていたそうです。また、aiやpsdのファイルはバイトが手動でgifに変換するというワークフローになっていたそうです。このような状況を修正するのに1カ月が費やされたようです。

ただ結果的にfacebook版もiPhone版も5月にリリース。しかし、iPhone版はRPGやStrategyのカテゴリでトップ25位付近をウロウロしている一方、facebook版はわずか3カ月でクローズという決定となってしまいます。

この敗因について對馬氏は「データの互換性を考え、ゲームデザインの変更ができず、facebookという実名SNSに対応することができなかった」としています。また、継続率・課金率などの指標の評価対象がモバゲータウンの内製ゲームで、他社プラットフォームの不利さがあったと結論付けました。ただ、「ちゃんと最適化すれば母数が違うので勝負できる」とエールを贈りました。

■イグアナ=日本のゲーム業界

またイグアナとなっているのは日本のゲーム業界も同じではないかと對馬氏は指摘します。

イグアナ化するゲーム業界


「波紋を呼ぶかもしれませんが」と前置きしながら、「マジコン問題が喧伝されていますが、80年代のゲームショップには新品ゲームとコピーツールが並んでましたし、ゲームの貸し借りという文化は昔からありました。法律に反していると言っても、例えばNHKの徴収率は7割で多くの大人が放送法を守ってないことになります」とコメント。

限られたパイの減少をくい止める事に注力するよりも、パイ自体を大きくする努力が必要ではないかと言います。

「デジタルコンテンツの特徴として、劣化せず・低コストで・簡単に・素早く・エコにコピーできる、というものがあります。これはそのまま海賊版を広める要因でもありますが、コピーコストがゼロに近い事を活かして儲ける方法もあるはず」と指摘しました。

■スマートフォン時代の成功の鍵

最後に對馬氏の考えるスマートフォン時代の成功の鍵が語られました。

現在スマートフォンではiPhone、Android、Windows Phoneという構図が出来上がっていますが、これはiアプリ、ezアプリ、S!アプリという構図と同じではと指摘します。

そしてモバゲータウンの成功の鍵は、各社が囲い込みを志向している中で、Flash Liteというどの機種でも使える言語で横串を刺したことにあります。Flash Liteはiアプリなどと比較するとクオリティでは劣るかもしれませんが、誰でも使えるという優位さはそれを覆します。それにより、2000万人の会員を獲得できました。

對馬氏はスマートフォン時代にもその考え方は有効ではないかと言います。「アップルのコントロールを逃れる方法を考えればHTML5があります。また誰もやろうとしてませんが、そういう時期だからこそ、やれば世界を取れるはず。日の丸連合で皆さんと一緒に外国勢を蹴散らして日本のプラットフォームで世界を取りたい」と呼びかけていました。
《土本学》

メディア大好き人間です 土本学

1984年5月、山口県生まれ。幼稚園からプログラムを書きはじめ、楽しさに没頭。フリーソフトを何本か制作。その後、インターネットにどっぷりハマり、幾つかのサイトを立ち上げる。高校時代に立ち上げたゲーム情報サイト「インサイド」を株式会社IRIコマース&テクノロジー(現イード)に売却し、入社する。ゲームやアニメ等のメディア運営、クロスワードアプリ開発、サイト立ち上げ、サイト買収等に携わり、現在はメディア事業の統括。

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