KYUSYU CEDEC 2015でカプコンは「株式会社カプコンにおけるVR技術講演」と題して、研究開発中のVRコンテンツに関するノウハウを(失敗談も含めて)共有しました。
様々な場面で利用されているノードベースなGUI。従来エンジニアが主体となって実装や調整を行っていた分野において、エンジニアはツール開発に注力し、その上でゲームデザイナやアーティストが実装を行うことで、イテレーションの高速化を目指すというものです。
ゲームデザイナーの業務の大半を占める仕様書の作成。しかし、これまで仕様書の具体的な書式や管理方法については、議論されることがありませんでした。
ゲーム機の性能向上と共にカットシーン(リアルタイムレンダリングによる映画的なイベントシーン演出など)の比率が上昇する昨今。一方でクオリティに限界があるのも事実で、トレーラーのような宣伝映像に使用することはできません。
レベルファイブの日野晃博社長がKYUSYU CEDECに登壇し「日野流 企画立案術」と題して、同社が得意とするクロスメディア戦略の核となるコンセプトデザインについて、その一部を明かしました。
ここ数年、エンドユーザーの間で認知度が急増しているVMware。中でも非営利目的であれば無償でつかえる個人向けの「VMware Workstation Player」は、PC内で手軽に仮想化環境を構築できるツールとして、幅広いエンジニアに愛用されています。
「巨人の肩に乗る」……あらゆる研究開発で共通する考え方です。ゲームAIについても同様で、PS3世代から「コンピューティングパワーの増加」「FPSという統一フォーマットの形成」「産学連携の推進」などを背景に、さまざまな研究が行われ、共有されていきました。
真に新しいモノを作るときは、初心にもどってトライ&エラーを続けるしかない・・・。CEDEC2015「ゼノブレイドクロスのシームレスマップのワークフロー」で、モノリスソフトの稲葉道彦氏は、開発をこのように振り返りました。
開発より運営が重要とされるスマホゲーム。コミュニティマネジメントの試行錯誤が各社で続いています。もっとも成功例が少ないとあって、なかなか実情が見えてこないのが事実。
2013年前後から国内でも一般的になってきた「インディゲーム」という呼称。東京ゲームショウ2015でも、さまざまなタイトルがみられました。これらを背景に、Twitchブースではインディゲームをテーマに様々なトークセッションを開催。
MMORPG『ゲーム・オブ・ウォー』が日本でも大ヒット中の米MachineZone。同社のCEOであるGabriel Leydon氏が初来日し、東京ゲームショウのCyyberZブースを訪問しました。
パッケージゲームからアプリに市場が変わり、コンテンツの総量が爆発的に増加しました。文字通り星の数ほどあるアプリ群の中で、どのようにして自社のタイトルを認知させるか。そこで高い注目を集めているのが、動画配信や実況プレイです。
ハイポリのCGモデルをまとめて最適化処理してくれるミドルウェア「Simplygon」。PS4とPS Vitaのマルチ開発、さらには3Dスキャナで作成したハイポリモデルのリダクションなどが短時間で可能だとして、国内でも採用事例が増加しています。
2010年代はUnityやUnreal Engineといった商用ゲームエンジンの時代だと言えるかもしれません。その一方でインハウスのゲームエンジンにもメリットがあり、多くの会社で使われています。
現代のゲーム開発は物量との戦いです。もっとも数年前までは、単純にハイエンド化するゲーム機の流れの中で、1つのプロジェクトのアセット量が増加していくことを意味していました。
CEDEC 2015で国内ではじめてデモが行われたStingray。オートデスクが8月19日にリリースをはじめた、同社で初めてとなるゲームエンジンです。同社ビジネスデベロップメントのベン・マワリー氏にStingrayのコンセプトや、活用メリットなどについて伺いました。
2014年6月、ゲーム業界に震撼が走りました。『Maya』『3ds MAX』などで知られるオートデスクが、スウェーデンのFatshark社の買収を発表したからです。
「オレが掟だ。キミらが頼りだ。」CEDEC 2015で登壇したレベルファイブ代表の日野晃博氏は、基調講演「妖怪ウォッチ ゲーム・アニメ・映画・漫画・玩具 ~各界クリエイター共同戦線~」を、このひとことで締めくくりました。
アジア展開ひねもすのたりのたりかな。過去10年間、よせては返す波のように日本企業のアジア進出と撤退が繰り返されてきました。
今年で8回目を迎え、すっかり定番となったCEDEC Awards。その発表受賞式が8月27日に実施されました。また会の最後にはCESA技術委員長の松原健二氏、CEDEC実行委員長の植原一充氏から、2015年7月11日に亡くなった岩田聡氏を追悼すると共に、感謝の言葉が送られました。