「ビジュアルシーン」は日本のゲームに何をもたらしたのか?―映画・アニメ的なものへの憧憬【ゲームのおいたち・ゲームのあゆみ】 | GameBusiness.jp

「ビジュアルシーン」は日本のゲームに何をもたらしたのか?―映画・アニメ的なものへの憧憬【ゲームのおいたち・ゲームのあゆみ】

1980年代~1990年代初頭にかけ、ホビーパソコンと家庭用ゲーム機で花開いた「ビジュアルシーン」の栄枯盛衰

文化 その他
「ビジュアルシーン」は日本のゲームに何をもたらしたのか?―映画・アニメ的なものへの憧憬【ゲームのおいたち・ゲームのあゆみ】
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ゲームはグラフィックじゃない」――ビデオゲームについて論じられる際、こんな言葉を聞いたことはないでしょうか?ほかにも「綺麗な映像ならゲームじゃなくて映画を観る」というのもよく見聞きした記憶があります。

近頃はこういった言葉もあまり聞かなくなった、と筆者は感じます。それだけゲームと映像の乖離が少なくなったということかもしれません。とはいえ、それなりに根強く扱われてきたテーマでもあるようです。インターネット上を検索してみると、ここ1~2年の間にも同様のテーマのブログ記事がいくつか投稿されていることが確認できました。

ただ、私たちが遊んできたものがビデオゲーム(Video Game)と呼ばれるものである以上、ビジュアル(Visual)のショックからはそうそう逃れられないこともまたたしかでしょう。これらはどちらもラテン語“vidēre”(知る/見る)を語源に持つ、視覚的なものを表現する言葉です。

さて、前置きが長くなってしまいました。これが最近のゲームであればスキップされていたに違いありません。今回探るのはビデオゲームにおける「ビジュアルシーン」についてです。

※「ゲームのおいたち・ゲームのあゆみ」は、ゲーム保存協会協力のもと制作されている連載です。

「ビジュアルシーン」の前史

『重機動戦隊シグナス』(©1984,日本ソフト&ハード社)NPO法人ゲーム保存協会公式YouTubeチャンネルより

現在もおなじ価値観があるとは限りませんが、たとえば操作キャラクターやボス敵の外見が大きい、動きがなめらかである、といったビジュアルのインパクトは、ひと目見ただけでプレイヤーに「遊んでみたい!」と思わせる重要な要素です。

こうしたプレイアブルなシーンでのグラフィック表現とは別に、操作外において美麗な画像やアニメーションを大きく表示し、それに伴った展開のBGMでプレイヤーの視聴覚に訴える手法が確立しました。これがゲームにおけるいわゆる「ビジュアルシーン」です。厳密な定義づけがなされているわけではありませんが、これはプレイアブルなシーンから切り離された、操作キャラを用いない静的で鑑賞性の強い(かつ動画ではない、あるいは動画以前に発達した)グラフィック表現、というふうに筆者は理解しています。

『BURAI 上巻』(©1989,リバーヒルソフト)

このビジュアルシーンの存在は、キャラクター描写やドラマチックな演出といった「日本的なゲーム」のパブリックイメージの流れへとつながる重要な転換点だったといえるでしょう。今回はまず、1980年代のホビーパソコンにおけるビジュアルシーンについて述べていきます。なぜなら、ビジュアルシーンという表現の発達が起こる場が、はじめはパソコンに集中していたからです。その理由にはNECのPC-8800シリーズといったホビーパソコンと家庭用ゲーム機、とりわけ任天堂のファミリーコンピュータ(以下、ファミコン)とのハードウェア上の思想の違いが挙げられます。

ファミコンは当初からアーケードゲームの移植を視野に入れた設計で、当時としては画面スクロールやスプライト表示能力に長けたハードでした。

一方ホビーパソコンは、実際にゲーム市場があり、それを目的として購入するユーザーも少なからずいたものの、かならずしもゲーム用途だけを目的に設計されたものではありません。

もちろんホビーパソコンでもスクロールをするタイプのシューティングゲームやアクションゲームはリリースされましたが、動作のなめらかさではファミコンに軍配が上がるうえ、キーボード操作はかならずしもアクション向きとはいいがたいものです。

しかしホビーパソコンにも強みがあります。それは画面解像度の高さです。入門機やMSXなど例外はありますが、基本的にホビーパソコンはテレビより解像度の高いモニタを擁し、高解像度のグラフィック出力が可能です。そのため、一枚絵の精細さやテキスト表示量や可読性はファミコンを上回ります。

『PSY-O-BLADE』(©1988,T&Eソフト)プロジェクトEGG公式YouTubeチャンネルより

こうしたことは、一枚絵の切り替えとテキストを読むことで進行するアドベンチャーゲームやステータス表示量の多い戦略シミュレーションと好相性です。これらのことから、動的で反射性の高いものはファミコンへ、静的で鑑賞性の高いものはホビーパソコンへ、という住み分けに進む要因が揃っていた……そのように分析することはできるでしょう。

実際のところ、こうした差がどの程度作り手の制作傾向に影響したのかは定かではなありません。しかし、事後的にホビーパソコンとファミコンがたどった道のりを検証した場合、ビジュアルシーンの発展過程はハードウェアに規定されていた、という見立ては比較的妥当に思えます。(1)

加えて、ホビーパソコンと家庭用ゲーム機は同時代に発展してきた文化ではあるものの、マシンの持つ思想の違いやターゲットとなるユーザー層の開きを思えば、商業的な面において制作されやすいゲームの性質が異なってくるのは自然なことでしょう。

一方でおなじゲーム文化に属している以上、互いの文化の流入も起こります。今回のケースでいえば、まずパソコンにおいてビジュアルシーンという表現が発展し、その影響を後からファミコン側が受けるという流れです。

『メタルスレイダーグローリー』(©1991,ハル研究所)ハル研究所公式YouTubeチャンネルより

たとえばファミコンでは『忍者龍剣伝』(1988,テクモ 現:コーエーテクモゲームス)や『メタルスレイダーグローリー』(1991,ハル研究所)などが家庭用ゲーム機におけるビジュアルシーンの代表として有名です。またパソコンからの移植タイトルでも、『イースII』の「ヒロインの振り向きアニメーション」などはファミコン移植版でも再現されています。

『イースⅡ』PC-88版(©1988,日本ファルコム)
『イースⅡ』ファミコン版( ©1990,ビクター音楽産業)

ここまで、ホビーパソコンにおけるグラフィックの発展傾向について環境要因から前提を述べてきました。それではビジュアルシーンが生まれた文化的な背景や動機には一体どのようなものがあったのでしょうか。

ゲームは映画を追いかけた

『メタルギア』(©1987 コナミ)NPO法人ゲーム保存協会公式YouTubeチャンネルより

一般に普及しはじめたビデオゲームとその作り手が、先行する視覚メディアに目を向けたのは当然のことだといえます。そのなかで「映画」の影響力は決して小さいものではありません。

かつて映画はゲームの作り手とプレイヤー双方にとって、最も身近な流行・娯楽・カルチャーの共通言語だったといえます。誰もが知るような人気作を(たとえ間接的にであれ)題材にしていれば、大まかなイメージは既にプレイヤーに共有されており、そのゲームがどんな体験をもたらすのかを説明する必要がありません。なにより既存の流行に乗ることは、商業上のウリになることはたしかです。これはいわば、誰もが映画で見てきたイメージやテーマをゲームという異なる媒体で模写する作業だったといえるでしょう。

やがてこうしたイメージ・テーマの表現は、複雑な画像表現が可能になるにつれてよりダイレクトに「映画的」なものに変化していきます。つまり映画をゲームの文法に翻訳するのではなく、ゲームに映画の文法を持ち込むという流れです。

これは「版権タイトルのゲーム化」とはかならずしも一致するものではありません。今風にいえばそちらは「IP」としての映画、その威光を利用することに重点が置かれていたといえます。

映画のような手法(ビジュアル・カメラ・演出)を用い、それをそのままモニタ上に表示する……こうした表現形式を持つビデオゲームの演出手法全般が、現在「ビジュアルシーン」としてまとめられるものなのだと筆者は理解します。

『ファイナルゾーン』(1986,日本テレネット) NPO法人ゲーム保存協会公式YouTubeチャンネルより

ゲームの作り手たちは「娯楽の王様」であった映画の文化的影響のもと、そのイメージを参照しながら、ゲームという新たな文化を切り開こうとしていました。当たり前のようにゲーム内で動画を扱える現代からみれば、それは映画というよりも紙芝居のような、非連続な画として映るかもしれません。こうした意味で、たしかにビジュアルシーンは技術的にはムービー(Movie)=動画ではなかったのかもしれませんが、しかしシネマティック(Cinematic)=映画的な文化を指向していたものなのだと思います。

世間に共有された映画文化への素朴な憧れや夢が生んだ表現、それがビジュアルシーンのはじまりだったのかもしれません。

ゲームはアニメと伴走した

『テレネット シューティング コレクション II』トレーラー。往年のロボットアニメを意識したビジュアルシーンが特徴的な横スクロールシューティング『キアイダン00』(©1992,日本テレネット)を収録。

映画と被る部分はありますが、ことに日本においてはアニメの影響は外せません。ホビーパソコン普及における黎明、発展、成熟に次ぐ終焉までの期間は、ざっくり言えば1970年代後半から1990年中期までと言えると思います。この期間にゲームに先行しつつも同時代的に成長してきたカルチャーがテレビアニメです。

ホビーパソコンの黎明前夜から発展期にかけて、「宇宙戦艦ヤマト」(1974)、「機動戦士ガンダム」(1979)、「超時空要塞マクロス」(1982)といったアニメ作品が続々と放映されており、「アニメブーム(第二次アニメブーム)」といわれる現象を巻き起こしていました。(2)

こうした土台が準備されているとなれば、先述した映画での流れと同じくゲームがアニメに目をつけない理由はありません。たとえば「機動戦士ガンダム」はゲームソフト化もさることながら、「RX-78 GUNDAM」(1983,バンダイ)という主役機の名を冠するホビーパソコンすら登場しています。同時代の流行として、アニメのゲーム化はごく自然な流れだといえるでしょう。

1980年代に入るとアニメブームは黄金期を迎え、1983年にバンダイからリリースされた『ダロス』を皮切りに「OVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)」というビデオのみで展開されるアニメ作品が登場するようになります。この時期、ホビーパソコンもまたひとつの文化として花ひらき、アニメとゲームはともに一時代を築くことになりました。

そして、同時代のOVAカルチャーのもとでリリースされたゲームのなかには、その影響を隠さないものも少なくありません。その最たる例が『夢幻戦士ヴァリス』(以下、『ヴァリス』)シリーズでしょう。第一作は1986年に日本テレネットからPC-88、SHARP X1、MSX向けに発売され、その後各社のホビーパソコンのほか、家庭用ゲーム機にも移植されました。

エディア『夢幻戦士ヴァリスCOLLECTION III』トレーラー。PC-88版『夢幻戦士ヴァリス』を収録。

本作の主人公は「ヴァリスの戦士」として異世界に召喚された普通の女子高生・麻生優子。彼女はわけもわからないままに、自身を召喚した女王ヴァリアと魔王ログレスによる明と暗の争い、そして敵となった級友・桐島麗子との戦いに身を投じることになります。

画像は1992年発売のPCエンジン SUPER CD-ROM2版『夢幻戦士ヴァリス』。ゲーム全体が大幅に作り直され、リメイクに近いものとなっている。

ゲームとしてはオーソドックスな横スクロール型剣戟アクションですが、そのオープニングやステージの幕間には美麗なグラフィックのビジュアルシーンが差し挟まり、当時のユーザーの心を掴みました。日本テレネットは本作と同年にリリースされていた『ファイナルゾーン』において先んじて演出手法を用いていました。それを引き継いだ『ヴァリス』シリーズは、「ビジュアルシーン」という言葉をビデオゲームの世界に定着させたパイオニアと呼べる存在となりました。(3)

PCエンジン SUPER CD-ROM2版ではビジュアルシーンのグラフィックがリファインされ、ボイスも追加された。

特に、続編となる『夢幻戦士ヴァリスII』からは、アニメーションや一枚絵の演出にさらに磨きがかかり、声優によるボイスが追加されるなど、よりアニメ的な表現へと近づいていきました。ビジュアルシーンはここでひとつの様式を確立したといえるでしょう。

ちょうどこの頃、家庭用ゲーム機ではPCエンジンCD-ROM2を皮切りにCD-ROM搭載ハードが登場しはじめました。音声に強みがあるPCエンジンを中心に『ヴァリス』がその後展開されていったのはある意味必然だったのかもしれません。

『夢幻戦士ヴァリスⅡ』(©1989 日本テレネット)NPO法人ゲーム保存協会公式YouTubeチャンネルより

『ヴァリス』はそのタイトルや設定・デザインを含め、前年にリリースされたOVA作品「幻夢戦記レダ」(1985,東映/カナメプロダクション 以下、「レダ」)から多大な影響を受けているように思われます。具体的に例をあげれば、現代日本の「普通の女子高生」がファンタジー世界に転移し、いわゆる「ビキニアーマー」的な鎧を着用して戦いに巻き込まれていく……といった部分です。『ヴァリス』が「レダ」を直接的に参照したかはともかく、OVAやテレビアニメのファンタジー作品は同時代的な流行としてゲームに波及していたといえるでしょう。

テレビアニメ、そして“テレビ”ゲームはどちらもお茶の間のテレビ画面を奪い合う、排他的な関係にあったといえます。しかし産業的には非常に結びつきが強く、それまでアニメ関連商品の主力であった玩具となかば同一視されながらも、また異なる立ち位置を築いていきました。同様の産業形態やマーケティング戦略は古くからあったものの、コンテンツ産業的な意味での「メディアミックス」という言葉が世間一般に広まりだしたのもこの頃だといわれます。

また、定時放送の公共電波ではなく媒体として供給されるOVA、専用モニタを備えたホビーパソコンは、テレビ画面に対する時空間的な依存から受容者を少なからず解放し、よりパーソナルかつオルタナティブな文化をはぐくみました。このことは、映画の項目で述べたことと同様に、企業が計画したひとつのIPを軸としたメディアミックス戦略からやや外れた、ゆるやかな文化的影響を互いにもたらしたといえます。『ヴァリス』に代表されるOVA的な雰囲気をまとったゲームは、そうした土壌から生まれたともいえるでしょう。なお、ゲーム原作のアニメ化を見ていくと、まず劇場からはじまり、次いでテレビアニメ、そしてOVAという道を辿っています。1990年代初頭からは、『ウィザードリィ』(©1981,Sir-Tech Software, Inc))や『ドラゴンナイト』(©1989,エルフ)をはじめ、多数のゲームがOVA化されました。

『エメラルドドラゴン』(©1989,バショウハウス/グローディア) 画像は1994年発売のPCエンジンSUPER CD-ROM2移植版(移植版はアルファシステムが開発)

黎明期におけるパソコンとゲーム機の境は現在ほど分化されていなかったとはいえ、パソコン文化はゲーム機に比べるとよりDIY精神が強く、作り手と受け手の立場が比較的フラットでした。たとえば電波新聞社刊行の「マイコンBASICマガジン」では読者投稿プログラムが人気となり、ゲームの「勝手移植」「二次創作」的なプログラムも投稿されていました。(4)このように、ある種オマージュ的なものに対してオープンな雰囲気や態度が許容される環境があったことも、先述したような作品群が成立する一助になったといえそうです。

ゲームにとって、映画が権威ある先輩のよう存在だったとするならば、アニメは互いに切磋琢磨しながら高め合う同輩の友人・ライバルのような関係だった……そのようにいえるのではないでしょうか。

「ビジュアルシーン」と日本テレネット――そして動画の時代へ

『イースⅠ・Ⅱ』(©1989,日本ファルコム/ハドソン 開発アルファ・システム) 『イース』第一作と第二作をPCエンジンCD-ROM2向けにセット移植。ビジュアルシーンが拡充され、好評を博した。

ビジュアルシーンが、ある一時代における特定のハードウェア(1980~1990年代前期のホビーパソコンとPCエンジンCD-ROM2)を強く喚起させる、時代性を多分に含んだ表現技法であることはたしかです。この後の技術進歩によって映画やアニメは動画として、ほぼ完全な形式でゲームのなかに取り入れられるようになり、より「マルチメディア」的な色を強くしていきます。

こうしてビジュアルシーンは一度はその役目を終えたといえます。しかしこの時期に映画やアニメのような演出を自前で模倣する、あるいは本職の専門家の知見を得るといった異分野との関係構築ができたことは、以降発達していくゲームのカットシーンにおいて大いに活かされたのではないでしょうか。

『アメリカントラック』(©1985,日本テレネット)NPO法人ゲーム保存協会公式YouTubeチャンネルより 合間に凝ったグラフィックが差し挟まれる、ビジュアルシーン前史の日本テレネット作品。

とくに、今回紹介した『ヴァリス』を輩出した日本テレネットは、『ヴァリス』以前から映画的な演出・アニメ的ビジュアル表現をおこなってきたメーカーです。同社はその後もホビーパソコン・家庭用ゲーム機で同様の表現を続け、「ビジュアルシーン」の代名詞として現在も知られています。

『BABEL』(©1992,日本テレネット)

その社内事情はいささか複雑で、ウルフチーム、RIOT、新日本レーザーソフト、RENOといった複数の開発室・ブランドが半独立的に並存していました。これらがそれぞれ別のメーカー・ソフトハウスだと認識していたユーザーも少なくなかったのではないでしょうか。こうした事態の詳細については4Gamerによる関係者へのインタビュー記事「日本テレネットとは何だったのか」で語られています。(5)

同社は結果として2007年に事業停止、事実上の倒産を迎えます。このインタビュー記事で語られているように、90年代初頭の時点でスタッフの離脱・独立が相次ぐなど、その状況は芳しいものではなかったようです。

『サークⅠ・Ⅱ』(©1992,日本テレネット)PC-88などでマイクロキャビンからリリースされた『サーク』『サークⅡ』を日本テレネットがPCエンジンCD-ROM2向けにセット移植。開発はRIOTが手がけ、ボイス演出やビジュアルシーンの強化が図られた。

そして、日本テレネットのお家芸ともいえるビジュアルシーンの隆盛が頂点から下りつつあった1990年代中期。それと入れ替わる形で家庭用ゲーム機市場ではシェア争い、俗に言う「次世代機戦争」が幕を開けます。3DO、セガサターン、プレイステーション、PC-FXといった次世代機の多くは当初から動画処理を見据えたハードウェアであり、先述した通りビジュアルシーンが退潮していくのは必定だったといえます。

そしてこの頃、国内の家庭用ゲーム機ユーザーの間には「大作RPGの有無・RPGの多寡がゲーム機の命運を左右する」という認識が少なからず共有されていました。それが正確なものだったかはさておき、RPGは当時それほどまでに影響力の強い花形タイトルとして発展を遂げていたのです。そんななか、日本テレネットで活躍したスタッフやそこから独立したメーカーは、この頃それぞれに新たなRPGを生み出していきました。

『テイルズ オブ ファンタジア』(©1995,ナムコ 現:バンダイナムコエンターテインメント)

たとえば『テイルズ オブ ファンタジア』(1995,ナムコ 現:バンダイナムコエンターテインメント)は日本テレネットがナムコ側に企画を持ち込んだこと(6)で実現し、開発をウルフチームが手がけたRPGです。さらに、本作の開発チームから離脱したスタッフによって設立したトライエースが『スターオーシャン』(1996,エニックス 現:スクウェア・エニックス)を制作しています。どちらもスーパーファミコンのタイトルながら声優によるボイス演出が入り、前者はオープニングで主題歌が流れるなど、高い技術を用いた演出がユーザーの目を引きました。

そして日本テレネットのRPG『天使の詩』(1991)の企画をおこなった西健一氏は、スクウェアに移籍後『クロノトリガー』(1995)『スーパーマリオRPG』(1996)に関わり、のちにラブデリックを設立。「アンチRPG」とも呼ばれた『moon』(1997)などの作品を送り出しました。また同作の制作に参加していた金子彰史氏は、RIOTの部長であった福島孝氏を代表に日本テレネットスタッフとともにメディアビジョンを設立。アニメ動画によるオープニングを採用した『ワイルドアームズ』(1996,販売 SCE 現:SIE)はプレイステーションの看板タイトルのひとつとなりました。

『ワイルドアームズ』(©1996, SCE 現:SIE)

ここまで紹介したタイトルを含め、日本テレネットから独立したメーカーやスタッフは、1990年代のRPG文化の形成において重要な役割を果たしました。その多くにはビジュアルシーンで培った映画的・アニメ的な演出のノウハウが見て取れます。また、かつてのスタッフによるタイトルのみならず、同社が広めたビジュアルシーンは間接的に他社にも大きな影響を与え、国産ゲーム全体の演出に転換をもたらしたといえるでしょう。

『クルーズチェイサー ブラスティー』(©1986,スクウェア 現:スクウェア・エニックス)プロジェクトEGG YouTubeチャンネルより

なお「ビジュアルシーン」と呼ばれることはあまりないかもしれませんが、日本テレネット以外にもスクウェアの『WILL-THE DEATH TRAP II-』(1985)や『クルーズチェイサー ブラスティー』(1986)におけるアニメーション演出、コナミの『スナッチャー』(1988)、『ポリスノーツ』(1994)といった小島秀夫監督作品における映画的な演出は、同時代において近い方向性を持った表現でした。これらもまた、90年代に入りそれぞれの方法論(ムービーとプレイアブルシーンの重ね合わせ、リアルタイムレンダリングキャラによる演技)でゲームにおける「映画的」表現を追及していきます。

『スナッチャー』(©1988,コナミ)NPO法人ゲーム保存協会公式YouTubeチャンネルより

模倣からオリジナリティへ

『VA-11 HALL-A』(2016,Sukeban Games)

そして現在、ビジュアルシーンは技術的制約や往時を知る者だけのノスタルジアから切り離され、ゲーム的なアートスタイルとして認知されているといえます。たとえばそれは後年のビジュアルノベルにおける「一枚絵」や「スチル」に部分的に引き継がれたといえますし、『VA-11 HALL-A』(2016,Sukeban Games)を代表とするホビーパソコンライクなインディーゲームなどでビジュアルシーンに近い手法を用いる例もあります。また、動画を扱えるようになった据置機やパソコンと異なり、携帯ゲーム機においてはビジュアルシーン的な手法がしばらく残存し、独自の発展を遂げたといえるでしょう。

これはドット絵やローポリゴンの見栄えが後年再評価されて用いられることと同様です。当初は制約であったものがやがてスタイルへ変化し、当時を知らない者にも受容される、という現象はゲームのみならず発生します。

それはあたかも「がんもどき」のようなものかもしれません。もともと鳥の雁の肉を模して作られた精進料理だったというがんもどき。しかし現代において、雁の肉に思いを馳せながらがんもどきを食べている人はおそらくほとんどいないでしょう。

ある意味、がんもどきは完全に雁の肉を再現しきれなかったがゆえに独自性を獲得し、おでん種や煮物といったまったく別のものとして現在も好まれているといえます。

ビジュアルシーンのような表現も同様です。それは当初、映画やアニメ的なものに肉薄しようと作り手が工夫を凝らした末に生み出されたものでした。それは完全なコピーにはなりえません。しかしだからこそ逆説的に、現在ではゲーム的な表現として捉えられる存在となった……そのようにいえるのではないでしょうか。

いかがでしたか?

本記事は特定非営利活動法人ゲーム保存協会の協力のもとお届けしています。同団体の公式サイトでは、毎月特定のテーマにちなんだゲームを、週替わりでショート動画とともに紹介する企画「保存録」を掲載中。

5月のテーマは「ビジュアルシーンの夜明け」でした。本記事はそのテーマをもとにGame*Sparkが新たに書き下ろしたものです。

なお、その月のテーマが何だったのかは毎月4本目のゲームが紹介された際にゲーム保存協会から届くメールマガジンで明かされます。保存協会の活動に興味を持たれた方は、この機会にサポーター会員として登録されてみてはいかがでしょうか?


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参考文献

(1)人文書院 「日本デジタルゲーム産業史」84-86Pを参照

(2)NTT出版「ファミコンとその時代」213Pの記述を参照

(3)Colorful Pieces of Game イース通史(番外):ビジュアルという単語http://www.highriskrevolution.com/wp/gamelife/2020/02/09/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B9%E9%80%9A%E5%8F%B2%E7%95%AA%E5%A4%96%EF%BC%9A%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E5%8D%98%E8%AA%9E/

(4)人文書院 「日本デジタルゲーム産業史」72Pを参照

(5)[インタビュー]日本テレネットとは何だったのか。「テレネット シューティング コレクション」を記念し,3スタジオ+αの元スタッフが当時を語る
https://www.4gamer.net/games/668/G066894/20230606056/

(6)FUNFARE バンダイナムコ知新 「第4回 RPG~『テイルズ オブ』シリーズの軌跡 前編」
https://funfare.bandainamcoent.co.jp/2742/

協力:特定非営利活動法人ゲーム保存協会

《林與五右衛門@Game*Spark》

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