JRPG新境地―イメージエポック御影氏が語る・・・中村彰憲「ゲームビジネス新潮流」第16回 | GameBusiness.jp

JRPG新境地―イメージエポック御影氏が語る・・・中村彰憲「ゲームビジネス新潮流」第16回

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JRPG――いつごろから、このような形で日本のRPGが呼ばれる様になったのでしょうか?すくなくとも筆者が米国留学時代、『ファイナルファンタジーVII』のトレイラーを店頭や劇場(!)で見たときは、そのような括りで日本制RPGが捉えられた事はありませんでした。ですが
  • JRPG――いつごろから、このような形で日本のRPGが呼ばれる様になったのでしょうか?すくなくとも筆者が米国留学時代、『ファイナルファンタジーVII』のトレイラーを店頭や劇場(!)で見たときは、そのような括りで日本制RPGが捉えられた事はありませんでした。ですが
  • JRPG――いつごろから、このような形で日本のRPGが呼ばれる様になったのでしょうか?すくなくとも筆者が米国留学時代、『ファイナルファンタジーVII』のトレイラーを店頭や劇場(!)で見たときは、そのような括りで日本制RPGが捉えられた事はありませんでした。ですが
  • JRPG――いつごろから、このような形で日本のRPGが呼ばれる様になったのでしょうか?すくなくとも筆者が米国留学時代、『ファイナルファンタジーVII』のトレイラーを店頭や劇場(!)で見たときは、そのような括りで日本制RPGが捉えられた事はありませんでした。ですが
JRPG――いつごろから、このような形で日本のRPGが呼ばれる様になったのでしょうか?すくなくとも筆者が米国留学時代、『ファイナルファンタジーVII』のトレイラーを店頭や劇場(!)で見たときは、そのような括りで日本制RPGが捉えられた事はありませんでした。ですが最近は、日本製RPGはJ-Popの如くJRPGとして区別されて評価されるようになりました。更に、このような括りで日本製RPGが語られる場合は決して賞讃だけでは無い様です。

そのような中、むしろそこに力を結集すべきとしたのがJRPG宣言でした。そして、その宣言で示された代表作のひとつである『最後の約束の物語』が発売されたばかりのイメージエポック代表取締役を務める御影良衛氏にお話しを伺いました。

(聞き手: 中村彰憲)



■大学在籍中は学内では「メタルスライム」と言われつつ十社近くを巡りゲーム開発工程をひととおりマスター

―――実は、JRPG宣言以前から御社には注目していました。そもそも、なぜ起業に至ったのかというところか教えていただけますか?

御影良衛(以下略): ナムコ(当時)のナムコ・テイルズスタジオ(以下、テイルズスタジオ)で4か月程お世話になってから、起業しました。ナムコで採用が決まった時、ナムコの人事部に「RPGを開発したい」と希望を出したら、ちょうど同社がテイルズスタジオを共同で出資していた日本テレネットから株式を買い上げ、テイルズスタジオを子会社化するという時期だと聞いたんです。まだ正規に立ち上がる前だったので、再度履歴書を描き直し、テイルズスタジオから改めて内定をもらってました。当時は『テイルズ・オブ・ザ・アビス』(以下、『アビス』)の立ち上げ期間でしたね。本格的に稼働する前で、シナリオとキャラクターデザインなどを決めている最中でした。私自身は、『アビス』の背景デザインを担当するように指示を受けてました。『アビス』は企画書を見た瞬間から50万本は行くぞと思ったんです。更に当時はPS2全盛期でテイルズ10周年記念でもあったのでまるまる一本関わりたいなと思っていたんですが、結局僕のモチベーションが持ちませんでした。

―――でも、4か月っていうのは短いですよね

スタジオ自体には、正規採用前の前年8月から勤務していました。ですから同スタジオには11カ月程在籍したことになります。当時、私は東京工芸大学の映像学科にいたんですが、大学もほとんど単位を取り終わっていたので、8月にはアルバイトとして働きはじめ、結局卒業までそんな感じで働き続けました。内定が決定済みで働いていたので正規採用前から背景担当でした。その前は大手ゲーム会社の子会社でキャラクターモデリングやモーションデザイン/企画の仕事をしたりとか、映像スタジオで某大手ゲーム会社のオープニング映像の作成を手伝ったりとか、あとは、中小企業のゲーム会社に入っていたり、アルバイトだけで大学時代にゲーム会社を8社から9社位経験していたんです。なので、いわゆるゲーム開発の経験という意味ではほぼ全ての工程に携わってきたという記憶があります。プランニングからローポリモデリング、キャラクター、モーション、ハイエンドCGによるオープイングムービーから絵コンテ制作までですね。唯一、学ばなかったスキルがドット絵です(笑)。とにかく、これらを大学4年間で全てこなしたんです。卒業時も13社か14社のゲーム会社を受けたんですがほぼ全部内定をいただきました。当時は正直、有頂天でしたね(笑)。

―――ひとつのスキルを学ぶのも非常に大変なわけですが如何にしてそこまで多くのノウハウを短期間で習得出来たんですか?

現場ですね。大学入学して程なくしてから大学で教えている内容だけでは満足出来なくなってしまって....当時はコンピュータグラフィックが最先端の分野だったので多くの大学では、設備が整っていなかったんですが、東京工芸大学だけがMayaをはじめ本格的に導入していたんです。私自身は高校三年の夏からコンピュータをいじり始めていたのと、大学入学直後にデジタルハリウッドにもダブルスクールで通ったこともあって、僕のCG技術はすぐに他の学生たちに教えられるレベルになってました。当時から他の人には「生き急いでる」って言われましたね。とにかく技術や思想に関しては早熟にこなしていきたいという強い思いがあったんです。ですので、ゲーム、CG関係の会社でずっとバイトばかりしていたので、学校でのあだ名が「メタルスライム」でした。めったに会わないということで・・・。

―――笑

会う度に経験値も高くなるということで・・・。とにかく学生時代は友達も作らず、飲み会にも行かず、寝袋ひとつ持ってゲーム会社へゴーという感じでした。

―――では、当時から業界に入りたいという思いが強かったんですね?

いや、もうすでに業界に入っていたのでそのような思いは既にありませんでした。

―――ゲームデザインなどは学校でというわけにはいきませんよね?

僕は想像することが楽しいので、学校教育の様に決められた物事を覚えていくというよりは仕様書や企画書なんかも頭の中の妄想を文章に起こすことですから大学受験よりも簡単でした(笑)。いや・・・楽しかったから向いていたという方が正しいですね。壁に当たったのはどちらかというとお金、マネジメントです。特に会社を興してから悩んだ事は、仲間の(イメージエポックの社員)全体的なアビリティをどうやって足し引きし、付加価値をつけるかを考える事だったと記憶しています。自分の事だけで言うと起業前は・・・とくに、アルバイト期間は正直何も考えていませんでした。何でもやろうと。ただ、同じことはやらないようにしようと意識しました。そこで得た知識と経験を糧に将来何かをしようと常々考えていましたから。いろんな人に会い、いろんなものを吸収するということだけをただひたすらつきつめたような感じですね。

―――そもそも学生時代から業界でアルバイトに入ること自体難しいですよね?どうやってそのきっかけを得たのですか

他の人と変わりませんよ。私はもともと最寄駅が日吉だったので、コーエーが自転車で5分程のところがあったんです。だから、高二の夏休みのときにβテスターとしてアルバイトにいったんです。その後、高三のときも夏休みに1カ月限定で参加させてもらいました。人づきあいも悪くないほうだったので、後でコーエーのスタッフの方々とも親しくなって、最後には、将来について聞かれたんです。そこで芸術系大学に入るということ、ゲーム業界に興味をもっているので3DCGを学ぶ意向があることを伝えたら、アルバイトに誘われたのが始まりでした。その後、しばらくしてから自身が学んでいた3DCGのスキルを生かせるバイト先を探したという感じです。最初はまったく受け付けてくれませんでした。ですが、電話を更にかけて、私自身と会って、作品を見てから判断してもらうようにお願いしたんです。その後の面接で落ちた経験というのは一回も無いですね。落ちても食い下がっていたからかもしれませんが(笑)。またバイトを始めるときは雇用主に、4カ月程度でやめる意向であること、そしてその理由は、そこで得た知見に他の所でも得た知見を加え、それらを活かしてもっと大きな仕事を一緒にやれるようになりたい!という目標があると伝えることにしてたんですが、そんな私の姿勢に興味をもっていただいたバイト先もたくさんいました。本当に偉大な先輩ややさしい大人に出会えたことは僕の最高の幸せです。運が良かったのだと思います。当時は生意気でしたから(笑)

■下請け、デベロッパー、パブリッシャーと急成長を遂げた原動力は総合的に人的リソースをマネジメントする力
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―――起業直後は苦労が多かったのでは?

いやそれが、すぐにメディアビジョン、ゲームアーツなどから背景やモーション、ゲーム内シーンムービーの監督などを1人で受託しました。特段人脈があったわけでもなく、全部飛び込み営業からはじめました。電話一本で仕事を受けてきたんです。起業に関してですが、儲かることは最初から分かっていましたし、僕、営業で仕事とれなかった事ってほぼ無いので、非常についていた記憶があります。ですから悩むことも全くありませんでした。

―――営業で仕事を勝ち取る秘訣はなんでしょう?

そうですね・・・秘訣なんてものではないですが私自身が努力して培ってきたゲーム市場への知識やゲームデザインへの理解、あと売上本数をとにかく予測しまくることやゲームを作る工程に対する理解を深めるような努力、というのを心がけました。とにかく仕事を次々と請け負っていったんです。これもほとんど運ですね(笑)。

―――当然そうすると一人では請負切れなくなりますよね?

はい(笑)。そこで当時既に多くの現場で得た業界内の友達がいましたので携帯で「ちょっと会社つくって、仕事が山のように溢れているから来て!」って。気がついたら3年で100名程度のスタッフに拡大してました。しつこいようですがまたまた運です(笑)。

―――私も御社の成長ぶりを見ながらこの不況でどうして急成長したのかとただ驚いていました

いまでは大手のリードプランナーのトップがウチにいたりとか、『世界樹の迷宮』シリーズを開発した新納一哉さんや他にも沢山の経験値の高いスタッフが入ってきました。

―――大手のリードプランナーとはバイト時代に知り合ったのですか?

知り合ったというよりは、最初にご飯に連れて行ってくれた方です。お世話になった大先輩です。年齢も一回り以上上ですしね。企画のレベル自体、僕より全然凄くて、素晴らしい方です。

―――なぜそこまで優秀な人材が集まるんでしょう?

なんか、面白いんです。ウチの会社って。まず単純な請負専門からデベロッパーになるとき、「そんなに簡単に仕事取ってこれるわけない」って言われたんですが、二週間もかからず契約してきましたし、デベロッパーをはじめて2年たった時、他のスタッフと食事をしながら「イメージエポックという会社だと、デベロッパーのままじゃ将来メシ食えないや」って言ったんです。基本的に作品など著作物の権利も無いし、持って7年、企業寿命もせいぜい10年だと。そこで、08年に社内で「パブリッシャーやるぞ!」と宣言したんです。私は今29歳なんですが、30歳になる前にパブリッシャー宣言するぞと。単なる勢いかもしれませんね。

―――確かに20代のほうがインパクトがあります(笑)

で、僕が10月生まれなので、4月と8月にタイトルリリースを準備させていただきますという形で昨年パブリッシャー宣言をさせていただいたんです。こんな感じで、「それって難しいでしょ」と言われる課題を私が比較的に簡単にクリアしているようで、それを面白く思ってくれる人が多いみたいです。中身は死ぬほど働いてほら出来たと外では余裕を振りまくと!(笑)あと、将来何をやっていくかについては積極的に社内のスタッフとしゃべるんです。悩んだりすると先輩を捕まえては「僕今こういうステージだけどどう思う」って喋るんです。相談しても答えは帰ってこないので、喋るだけ。 でも、スタッフからは「御影さんが考えている事は良く分からないけど、そうやって喋ってくれるからなんとなくは理解できる」って言ってくれるんです。

―――パブリッシャーになるのは本当に大変だと思うのですがその理由は?

日本のゲームバブルは05年がピークでした。ここから10年で需要も減少していくだろうと思いました。ただ、イメージエポックという会社をうまくユーザーの皆様との対話型にシフトできれば05年から12年まではなんとかメシを食っていけるだろうと...でも、ゲーム産業の勢いが残っているうちに、パブリッシャー宣言しないともう持たないと確信したんです。米国のほうではゲームの景気が06年ごろから良くなってきたので、後は持って10年、更に7年目で一気に崩れていくので12年、13年位がやばいと思っていたんです。私が北米で確認したデータでは2010年は、コンシューマ市場が遂に広義のオンラインゲーム市場に食われました。51%がオンラインに、49%がコンシューマ市場になったんです。おそらくアメリカのゲームバブルは今年後半から来年以降数年で弾けると見ています。まあ、このことは僕が言うよりも皆さん4、5年前から計算済みだったと思いますが。

―――『ブラック★ロックシューター』は全方向で展開するとのことですが、ゲームデザインと言う視点でプラットフォームごとの棲み分けは考えていますか?

プラットフォームごとの棲み分けというのは全く考えてないです。面白そうであれば、戦略的に意義があればやるという方向です。いま、オンラインゲーム市場については導入期から成長期に突入したと見ているので、オンラインゲーム会社もぼちぼちセグメント化、細分化が進み始めているかなと感じています。いわゆる上位ソフトというのが揃ってきていて、参入障壁も高くなってきたという状況ですね。

―――今後もこのような形でコラボを進めていく予定ですか?

いま、現時点で面白く、売上も伸び、ユーザーも自分たちも幸せになる確率が高いと思っているのでやっていますが、出来れば全て社内でやりたいですね。

■「JRPG宣言」を旗印に皆で次世代のJRPGをつくりあげたい
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―――ソニーのNGPや、ニンテンドー3DSについてはどのような展開を考えているのですか?

それぞれもう開発自体は進めています。これらのプラットフォームは、狙っているところが全然ちがいます。買ってくれるユーザ層も別なので、JRPGといってもそれぞれの端末にあったゲームにしないと売れないと踏んでいます。以前の携帯プラットフォームの場合は、前半戦はDS、後半戦はPSPと分かりやすかったんですが、今回は、作り手がハードの特性を充分理解してから開発しないと作り手側の問題でゲームが売れなくなる可能性が高くなります。ユーザーがそのハードに何を求めているのかというところが重要です。具体的な機能というよりは、ユーザーが持つイメージですね。ただ、去年の頭ぐらいに僕がずっと喋っていたのは、これからのゲームって、HDとか3Dとかじゃないよね、ということです。こういった視覚的技術っていうのは持って2、3年。これでは長いサイクルでのエンターテインメントは成り立たないんです。『モンスターハンター』の成功で重要だったのは「遊び方」です。How Toのほうに入っていくと人間はけっこう長く遊んでくれる。

―――JRPG宣言には驚かされましたが、そこまでこだわる理由は?

実は僕はゲーム開発においては、「何かをつくりたいから作る」というよりは、作れるものを作る、現時点での開発力で最上級のモノをつくると言う方針です。中堅クラスの作品を現在作っている理由は中堅クラスの作品が現状の力だからです。ひとりひとりのアビリティを向上させることはさほど難しくないんです。それをマネジメントして「パッケージ」にして世に出すのが難しいんです。ウチの会社は現段階ではそこまでが限界なんです。よりオリジナリティある作品を作りあげるには、後2、3年、チームとしての成熟期間が必要だと思っています。つまり、イメージエポックが面白い会社になるのは2014年からなんです。2014年からは他社では真似できない作品がウチからリリースされるようになるとふんでいます。超大作RPGを除いたRPGにおいては、14年までにイメージエポックはユーザーに認めて頂ける作品を確立出来るように努力しています。おそらく僕の視点というのはゲーム業界にいる他の皆さんとはまったく違うんだと思います。ですので、ここ5年の間で更に実績を重ね、自分の意見を業界内でちゃんと言える位の成功を収めるか否かが、自社にとっても業界にとっても重要なのではと思っています。

―――では、JRPG宣言の真意とは何ですか?

JRPGというのは定義が難しい。大人でさえ、正確にそれを把握することは出来ないと思ってます。結局「JRPG」という言葉を改めて発した時点で、それは新しいジャンルになるんです。イメージエポックがあって、御影良衛という29歳の社長がいて、という文脈の中で、新たに「JRPG」という概念を提示する。様々な人の中に、いろいろな考えが生まれると思います。皆さん、それぞれ勝手にいろいろなことを考えると思う。つまり「妄想のパンドラボックス」になるんです。それでいいんです。それがエネルギーだから。そのエネルギーを求めて人が集まる、注目してくれる。その力でイメージエポックが大きくなって、面白い作品が出来、僕のビジョンをなんらかの形で具現化したときに、皆が「僕たちが思い描いた会社になったんだ」という共有感を疑似的に感じてくれる。「僕たちが応援したイメージエポックになったね」という時に、ミリオンの賛同者なり、ミリオンセラーのソフトなりを得ることが出来るんです。

ひとつの提案を出した時に、これは企画もそうですが、形になっていてはいけないんです。皆で一緒につくるんです。一つのキーワードを使ってユーザーも僕も社員も10年、20年をかけて本当のJRPGを模索すればいいんです。たしかに僕の思うJRPGは多少はある。ですが、それが「JRPG宣言」で言うJRPGの全てではない。だから僕も一人の傍観者なんです。みんなでつくっていく中で、「それそれ!それが僕のやりたかった事」と言いたいんです。つまり、ワンポッドとクラウドです。クラウドしたものをワンポッドに入れて、どれかひとつが当たればいい。つまりゲームでなくてもいい。オンラインゲームでもいい、フィギアでもカードゲームでも、iTune配信でもいい。「ひとつのコンテンツがすなわちゲームでしょ!」という考え方です。ゲームが当たらなければその部署の価値は無いなんてことはありません。コンシューマゲームは大事です。ですが上手くいかないためにあらゆる事業部が無くなるということであれば、それは経営者の問題です。

■多人数とネットワークこそが未来のキーワード
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―――では、ゲーム業界の未来を示す次のキーワードはなんでしょうか?

多人数ですね。How Toと言う意味では、恐らく完全同期型RPGやアクションゲームというのが一度は通る道だろうと。つまりこれからは「ネットワーク」だと考えたんです。コンシューマゲームとオンラインゲームの流通をうまく共同体に出来れば次世代のオピニオンリーダーになれるということです。09年後半ぐらいからそれについて話していました。当時は、PS3がちょうど盛り上がってきたので、スタッフの多くが「これからはどう見てもPS3でしょう」という声もあがったんですが、PS3で一番面白いのはハードそのものよりは、ネットワークのセッティング率が高いことだと。ここをうまく活用しないとダメだよという話をずっとしてきました。今、ようやく時代のニーズと僕の考え方、そして社員の考え方のマッチングが出来たんです。

そこでイメージエポックがパブリッシャー宣言したときに、アンドロイドもやります、ブラウザーもやります、コンシューマもやります、ただし、コンシューマゲームに完全同期したブラウザー、つまりワンポット戦略でやらせていただきますと発表したんです。この戦略を推進する理由は、21世紀のビジネスは、ワンオンワンではないと思っているからです。日本が、アメリカが、ヨーロッパ―がではなく日本もアメリカもヨーロッパも融合してひとつになるという考え方です。市場がアメーバ式になっていく。そのような中で、ウチとしてはデジタルコンテンツという括りにおける総合エンターテインメントの提携を取り込んでいくという考えを示したんです。モバイルやオンラインをやらないという判断は企業の死活問題になるでしょう。

あと、若い力が今業界には必要なのですが、それが出てこない。僕たちは多くの人材を採用していますが、ほとんどが中途採用者です。まだまだすぐには新卒から頭角を現してリードをするという人が生まれてくることはないでしょう。これがまず危機的状況です。若い人たちも育てられる業界全体のライフサイクルが必要です。ですが、大学で教えている学問も現場と乖離していますし、現場の技術も21世紀にあってないんです。

―――なかなか、シビアですね

こうやってドライに話をしてはいますが、実は僕、ゲーム作るのめちゃくちゃ好きなんです。ゲーム業界に対する愛着も凄まじく感じていてなんとかこの業界を元に戻したいという気持ちがあります。だから、僕は、学問が人にまんべんなく物事を教えることが出来るように、普通の人が分かるゲームビジネスの「教科書」を作りたいと思っているんです。つまり、イメージエポックは大きい会社(※将来成長した際の仮定の話)だけどここはウチでも模倣出来るかもと思われるようになりたいんです。小さな所の話で言えば現時点での弊社の『ルミナスアーク』的ゲーム開発だったり、10万本を売るシステムだったりは他社も真似られますから。そのように日銭を稼ぎ若い人たちが成長していけばいいなと思っています。

―――ではゲーム業界を改めて活性化していきたいと?

ただ、再建は出来ないと考えます。これは経済全体においても東アジア以外のアジアや新興国の台頭と経済のグローバル化にともなく先進国の低迷が叫ばれているのと同じように欧米日市場におけるゲーム業界の低迷する中で日本が7〜80年代(ゲームで言うと80~00年)のように急成長するということは無いのではなないかと。ゲーム業界においても。まずこれを前提にして作品づくりに取り組まないとならない。多くの人はこの話を聞いても半信半疑でしょう。でももし、僕が10年以内にこの会社をそこそこの規模にすることが出来れば、「あ、イメージエポックの哲学だよね」となる気がするんです。まずそこにしなくちゃいけない。僕はこの考え方を21世紀序盤のビジネスとして、如何に畑に種をまいておくのかということが僕の40歳になるまでのミッションだと思っています。そこをうまくやることによって、今厳しくなっている中小企業も含めて救えるようなビジネスモデルをゲーム業界に根差したいなと思っています。ただ既存のゲーム業界で標準となっているビジネスモデルは序々に衰退すると思います。これは既存の会社がというより全ての産業がたどる経緯なので。ただ沢山の会社の経営者方々が今まさに立ち上がり始めているので次の「ゲーム」という産業は非常に面白くなるのではないかと期待しています。

―――では、イメージエポックとしての展望は?

これまでの話は、御影良衛のもっている仲間の実力で実現出来ることを話してきました。経営は、夢を語れるポエマー(詩人)と具現者とで成り立っているのですが、イメージエポックの中で僕はその双方の役割を担わなければなりません。これまで語って来たことも30年という人生を賭してやらなければならない課題なんだと思うようになりました。今、僕のやってきたことは、20代で種まき、30代で旗揚げ、そして40代で収穫祭なんだと思っています。結局、自分の人生で種まきが出来るのはせいぜい2回、普通は1回だけだろうなと。このまいた種を20-30年でどう作品として大成するかということが自分が最も関心を持っている課題です。

―――では、いずれはゲーム業界のリーダーになるのが目標なんですね?

う~ん別に僕じゃなくてもいいと思いますが、誰かやらないといけないでしょうね。次世代のリーダー。そもそもゲームって何なのでしょう?世界ではじめて生まれたロールプレイングゲームは人間の脳がプラットフォームでした。Facebookも人の脳から生まれています。「ゲーム」という言葉を使った瞬間、日本人はコンシューマゲームを想像してしまいがちです。欧米の人ならPCゲームだったり、韓国はオンラインゲームだったり−固定観念でゲームを連想しまうと、次の想像が出来なくなってしまうのではないでしょうか?僕たちの社名はその次を考えるために「イメージエポック」としているんです。つまり「想像の新世代」なんです。個人のリーダーというよりリーダーになれる企業が増えて産業が活性化して楽しそうですよね!




JRPG宣言を端緒とした今回のインタビュー。御影氏と話を進めていくうえでその真意は非常い深く、業界全体をも活性化したいという強い志のもとに熟慮したうえで発せられた宣言であるということが明らかになりました。29歳と若い経営者ながら、ここまで真剣に業界やそれを取り巻く世界を見え据えている御影氏のこれからの活躍を心から期待しつつ、イメージエポックのコンシューマやウェブといった領域の垣根を越えた展開に活目していきたいと思います。
《中村彰憲》

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