「iPhoneの父」と問われれば、誰しもが「スティーブ・ジョブズ」と答えるでしょう。では、世界中のスマートフォンの約7割を動かすOS、Android(アンドロイド)“父”は誰か、ご存じでしょうか?
その人物こそ、アンディ・ルービン(Andy Rubin)です。

▲Andy Rubin(1963~)
彼はApple出身のエンジニアで、後にGoogleへAndroidを持ち込み、スマートフォンの世界地図を塗り替えた張本人です。
しかし、その栄光の裏には、スキャンダルによる失墜というドラマチックな結末がありました。
AppleからGeneral Magicへ──“スマホの原型”を見た男
ルービンは1980年代末、Appleでエンジニアとしてキャリアをスタートさせます。
その後、Appleのスピンアウト企業として知られるGeneral Magic(ジェネラル・マジック)に参加。

ここでは、現在のスマートフォンにつながる「携帯型ネット端末」の開発が進められており、後にiPhoneやAndroidを生み出す人材が多く集まっていました。
この時期にルービンが見た“未来の通信端末”の構想こそ、Androidという形で実現することになります。
Sidekickで脚光、そしてAndroid誕生へ
1999年、彼は「Danger」という会社を設立。
ここで登場したのが、物理キーボードを備えたT-Mobile Sidekickです。

▲T-Mobile Sidekick(1999)
常時接続やクラウド連携といった先進的な発想は、のちのスマートフォン体験に直結しました。
そして2003年、ルービン氏はAndroid Inc.を共同設立。
当初はカメラ向けOSの開発を目指していましたが、モバイル市場の拡大を見て方向転換。
2005年、Googleのラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンがその可能性を見抜き、およそ5000万ドルでAndroid Inc.を買収。
ここからGoogle Androidの快進撃が始まります。

世界を変えるも、Googleを追われる
2008年、初代Androidスマホ「HTC Dream(T-Mobile G1)」が登場。

▲Android第1号機「HTC Dream(T-Mobile G1)」
iPhoneのような派手な発表会は行っていませんが、オープンソースで自由にカスタマイズできるAndroidは、世界中のメーカーに採用され、2025年現在では世界のスマートフォンの約75%を占めるまでになりました。
しかし、ルービン自身はキャリアの絶頂期にGoogleを去ることになります。
2014年、社内での性的行為強要疑惑が報じられ、Googleは社内調査の結果を非公開のまま、彼に約9000万ドル(およそ100億円)の退職金を支払って退社させていたことが『ニューヨーク・タイムズ』の報道で明らかになりました。
この“密約退職”は全米で大きな批判を呼び、Googleの企業体質にも疑問を投げかけました。
栄光と転落の先に──Essentialとその終焉
退社後、ルービンはEssential Productsを設立し、Androidの次を担うスマートフォンを開発します。


▲Essential PH-1
独自の設計思想で注目を集めたものの、端末の販売は振るわず、2020年に活動を終了(Essentialの版権は英Nothingが取得)。
ルービン氏はその後、ほぼ表舞台から姿を消しました。
それでも、彼が描いた「開かれたモバイルの未来」というビジョンは、今も世界中のスマートフォンに脈々と受け継がれています。
以下はアンディ・ルービンの軌跡をまとめたショート動画です。彼がどんな人物で、どのような道を歩み、なぜ転落したのか……。スマホ史の裏側を、ぜひ。







