【e-Sportsの裏側】ゲームはまだ、スポーツではない。プレイしてこそ楽しみを感じることができる…たぬかな氏インタビュー | GameBusiness.jp

【e-Sportsの裏側】ゲームはまだ、スポーツではない。プレイしてこそ楽しみを感じることができる…たぬかな氏インタビュー

今回は女性プロゲーマーたぬかな氏にインタビューを実施。プロゲーマーになるまでの道のりや今後のキャリアについて話を伺いました。

文化 eSports

e-Sportsに携わる「人」にフォーカスを当てて、これからのe-Sportsシーンを担うキーパーソンをインタビュー形式で紹介していく【e-Sportsの裏側】。

■e-Sportsとは?
e-Sports(Eスポーツ)とはElectronic sportsの略で、コンピュータゲームやビデオゲームで行われる競技のことです。高額な賞金のかけられ
た世界的な規模で行われるプロフェッショナルな大会から、アマチュアまで競技が行われており、ジャンルやゲーム毎にプロチームやプロ
リーグが多数あります。現在e-Sportsの対象となっているゲームを遊ぶ人の数は、全世界で5500万人を超えています。(ゲーム大辞典参照)

第25回となる今回はCYCLOPS athlete gaming/Red Bull Athlete所属 の女性プロゲーマーたぬかな氏(谷加奈氏)にインタビューを実施。プロゲーマーになるまでの道のりや今後のキャリアについて話を伺いました。数多くの大会に出場するだけにとどまらず、日本国内の地方イベントなどにも積極的に参加するたぬかな氏が、いま、何を想うのか。裏側に迫ります。



――たぬかなさんの自己紹介をお願いします

たぬかな:CYCLOPS athlete gamingとRed Bull Athleteとして大会などに参加しているプロゲーマーのたぬかなと申します。

――2つのプロゲーミングチームに所属している形となるのでしょうか

たぬかな:CYCLOPS athlete gamingというゲーミングチームに所属していて、そこから個人にスポンサーがついているという形のほうが正しいですね。

――タイトルとしては主に『鉄拳』ですか?

たぬかな:そうですね。

――どのぐらいからゲームをやりはじめたのでしょうか

たぬかな:格闘ゲーム自体は高校生の時で、ゲーム自体は小学校に入る前から好きでやっていました。

――お父様から影響を受けていると聞きました

たぬかな:ゲームセンターなどに行って『テトリス』とかはすごかったらしいです。なので、家のゲームはお父さんが好きで買っているので、お父さんがプレイしているのを見たり、一緒にやったりとかを小学校に入る前からしていました。

――たぬかなさんの地元 徳島にゲームセンターは多くあったのでしょうか

たぬかな:当時は何軒かあったのですが、今は『鉄拳』の台を置いているのは2軒ぐらいですね。ゲームセンター自体はありますけど、廃れてきてどんどん潰れていってしまった感じです。

――先日「マチアソビ」にも行かれていましたが、アニメやサブカルチャーは徳島から盛り上げていこうというのが伝わってきます。ゲーム面での盛り上がりは徳島や四国はどうなのでしょうか

たぬかな:正直な話、あまり娯楽がないのでゲームセンターがまだマシな方かな、と。若い人が少ないので、人口としてもメダルゲームをやる方が多いです。時間のある年配の方がプレイしているメダルゲームが一番の収入源ですね。格闘ゲームなど若い子がガチでやっているタイトルは流行っていないですね。

――ゲームセンターでプレイし始めたのは高校生の時ですか?

たぬかな:そうです。『鉄拳』をやり始めたのもその時です。台が埋まっていて待ち時間がある時は音ゲーをやっていました。私は『GuitarFreaks』とか『DrumMania』をやってました。あとは『maimai』とかもやっていましたね。ゲーセン自体が好きなので色々なものをやっていました。

――高校卒業後はどうしたのでしょうか


たぬかな:私は元々建築士になりたいと思っていたので、建築の高校を卒業して設計事務所に入りました。そこから設計部に入って設計の仕事をしていました。

――建築士になりたかった理由は?

たぬかな:祖父が建設会社で働いていたので、日曜大工を家でしているのを見たりしていました。一番興味を持つきっかけになったのは、PlayStationで『マイホームを作ろう』というゲームがあって、それに無茶苦茶ハマりました。内容で言うと、簡単な家の設計ができるんですけど、それをゲーム内で3Dに直してくれて、家具を配置したりすることができました。あとはNPCの要求に答えたりというのもあって、そういう簡単な建築士のシミュレーションゲームだったのですが、それがすごい楽しくて。「こういう感じの仕事をしてみたいな」というのがあったので、CADを勉強して就職しました。

――会社員としてはどれぐらい働いていたのでしょうか

たぬかな:設計の会社でいろいろあって、社長が夜逃げしてしまいました。会社のメンバーもみんな散り散りになってしまって。そこで生活を維持するためにバイトを3つぐらい掛け持ちして、2ヶ月ぐらいやっていました。親が厳しいタイプで、フリーターを許されなかったので正社員を探しながら、レンタルビデオショップとラーメン屋とパチンコ屋で働いていました。そのなかでレンタルビデオショップの方で「社員にならないか」という話があったので社員になったのですが、遅番の社員だったのでゲームする時間が休みの日しかなかったんですよ。それがどうしても合わなくて、次にアパレルショップに就職しました。店長さんがゲーム好きで理解がある方だったので、「土日とか休みもらえますか?」と交渉などしたりして時間を確保していました。

――その頃は海外大会とかには行ってなかったのでしょうか

たぬかな:まだ行ってなかったです。アパレルショップに就職してからは時間に余裕ができてきたので、色々なところに行けるようになりました。アパレルショップでは3年働いていて、ランク制度が好きだったのでどんどん上がっていきましたが、3年目でCYCLOPS athlete gamingからゲーミングチームの募集があったので応募した形になります。

――かなり壮絶ですね

たぬかな:色々していました(笑)

――入って1年目の会社がなくなってしまうのは精神的に大丈夫でしたか?

たぬかな:やっぱり設計会社って大変で、納期とかもあるので残業もあるし、精神的にも身体的にも辛かったので、ショックというよりはこの業界は合ってなかったんだなと。当時私が18歳で、一番歳の近い人でも30歳ぐらいとかだったんですけど、女性社員も2人しかいなくて。でも私しかPCが使えないので、営業の人に「CADやってもらって」とか「お客さんに見せてあげて」とか色々頼まれて、お客さんから良い評価をもらえるのは楽しかったです。

――もともとプロゲーマーは志望していたのでしょうか

たぬかな:アパレルショップを辞める気はなかったんですよ。ただやっぱり気にはなっていて、どんなことをするのかな?というような話を聞きたくて、話を聞きに行くつもりで応募してました。

1次審査の書類審査とかで通って「次、面接です」となって大阪に行って、ゲーセンでプレイとか段位を見せて「給料とかどうなってるんですか?」って聞いて。給与形態がどうなってるかとか、そういった細かい話を聞いたら、固定給でいただけると。さらにイベント手当とか賞金とかもついて、お金の面ではっきりとしてもらえたのが大きかったです。あとは期待されていることや、理念がはっきりしているのも良かったです。


ゲームを良く知らない人達がお金儲けのためにやろうとしている会社は嫌じゃないですか。そうじゃなくて、esportsのために、ゲームの好きな人達がプレイヤーにこうなってほしいからこうしている、という理念もはっきりと言ってもらえて。スタッフもみんなプレイヤーなのでゲームに対して理解があるのが大きかったです。

――その時のゲーマーとしてのレベルはどれぐらいだったのでしょう

たぬかな:大会実績とかは地元の大会で優勝したぐらいしかなかったです。オンラインになってすぐぐらいで、日本のランクだと男性を含めて日本一になったことがあるぐらいです。『鉄拳7』稼働直後にずっとやっていて、アーケードでロケテストをやっていた時に、そういった話をアピールしていた記憶があります(笑)

――面接は通ったのですか?

たぬかな:通りましたよ!(笑) 『鉄拳』のプレイヤーはそこまで多くなかったんですが、私が一番段位が高かったみたいで。

――そこからプロゲーマーとしての活動が始まると

たぬかな:契約自体はしていたんですが、引っ越しもありますし、アパレルショップの有休や特休もありますし。完全に大阪に引っ越したのは翌年3月ですね。

――プロになって変わった部分はありますか

たぬかな:昔から『鉄拳』が本当に好きなのですが、プロになってからは「やりたくない時」というのができました。義務感でやっている時もあるので。昔は病気していてもやっていましたが、今はしんどい時はやらなくなりましたね。あとは大会に出るというのも昔は楽しいだけだったのですが、今はプロという肩書ができたので、負ける時ももちろんありますけど、そんなに早く負けられないとか、スポンサーさんをがっかりさせたくないなというのもあって、大会自体にもプレッシャーがかなりあって、「楽しいだけ」ではなくなりましたね。

――練習が辛いとか大会で勝てないとか、その辺りはどう乗り越えてきたんでしょうか


たぬかな:基本的には乗り越えられてないと思うんですね。1年目の初海外挑戦で行った時に、TOP8に入れたら壇上だったんですけど9位で。その時は無茶苦茶泣いて落ち込みましたね。乗り越えるためにはどこかで勝って機嫌を良くするしかなくて。負けて次の大会に出て勝てたら治るみたいな。勝つしかないって感じですね。

――大会は年に何回ぐらい出場するんでしょうか

たぬかな:今はワールドツアーというのができたので、年間に全世界で大会が開かれるようになったので、それだけでも年間20以上はありますね。国内大会も合わせると30は超えてくるかなと思います。

プロ1年目は緊張がすごくて。手が震えていつものことができないぐらいでした。2年目に入ってからは緊張はなくなってきたかなと思います。緊張をなくすには場数を踏むしかないと思います。1年目は特に大会前日に寝れないとか、体調管理が難しかったのもあります。

――食生活は気にしていますか

たぬかな:やっぱり不健康にありがちなので、野菜とかも取ろうとしないので、野菜ジュースだけは部屋に常備しています。

――外食が多いのですか?



たぬかな:高い服とかに興味はないので、趣味がゲームで買うものもゲームなので、何に使おうってなったら「出前で取ったれ!」と。なので食費はかなりかかってますね。

――Red Bullから声がかかるタイミングはあったのでしょうか

たぬかな:大阪にいる社員の方がいらっしゃるのですけど、その人が個人的にコンボブレーカーという大会の動画を見てファンになったと言っていて、どうしても入ってほしいので会社の方に企画書を作って提出しに来てくれて。全部監督に任せてあったので、決まったんだーっていう感じではあったんですが、物々しい英語の契約書が送られてきてびっくりしました。入ってみていろいろしていくうちに、すごい企業さんなんだなっていうのはわかってきたんですが、きっかけとしては大会で勝ったことで見てもらえたからですかね。

――プレイヤーから見て、今の日本のesportsの取り上げられ方はどうですか

たぬかな:プレイヤー側からすると、「急に持ち上げられても困る」って思っていて。オリンピック選手みたいな感じですごいって言われるんですけど、中身はゲーマーですし、スポーツ系の競技者と一緒にされるのはおこがましいと思っています。TVとかで取り上げられているのも喜ばしいことなんですけど、長期的に見た時にスポーツとして推していくというよりは、もっとフランクな形で広まってほしいなと思っています。

競技者として増えるよりは、プレイヤーが増やしてほしいと思います。大人になって野球やサッカーを始めるのはハードルが高いですけど、ゲームは1人でも始められるし、誰とでも遊べるのでハードルが低めだと思うので、競技としての前に良さを伝えてほしいですね。楽しいゲームをやってみよう!的な感じで。

――ゲームをプレイしてみてねっていう意味ですか

たぬかな:そうですね。年齢が高い人はゲームをやったことがないような人も多いと思うんですけど、格闘ゲームとかだけでなくて、いろいろなゲームを紹介してほしくて。スポーツになりえないようなみんなが楽しめる、技術介入がないようなゲームも広めてほしいですし、流行ってほしいと思っています。急に競技系のゲームを押し付けられても「ちょっと…」という場合もあると思うので、すごいと認められるよりはゲーム人口が増えるほうがいいと思っています。

――プレイはしないけど観戦するという人は増えてきていると思いますが、そういう人達に対して楽しむ方法や意識していることはありますか

たぬかな:私の放送は特に上級者の人が見るというよりは、私に興味を持ってくれた他のゲームの人が見てくれることが多いんですね。自分が意識していることとしては、リアクションをちゃんと取るということや、相手の技や自分の技に対しての意図をきっちり説明することを心がけています。初心者の人もたまにいらっしゃるんですけど、キャラの説明やステージの説明をしたりもします。

――ゲームに対して詳しくない人がわかるように実況するコツとかはありますか

たぬかな:ステージをわからない人向けに、何が起こったのかをわかるように実況で補填してあげる。このステージはファイナルラウンドになると壁が全部取れてしまって無限のステージになってしまうので、今までとは読み合いが変わってしまうので、お互い考えていかなければならないです、といったような感じです。上級者プレイヤーに向けて難しいことを言っている実況も多いですが、本当に初心者お断りになってしまうんですね。

でも海外の実況って本当にリアクション重視で、プレイ内容に触れてないこともあるんですね。そういったのもあって私はリアクションを多めに取りたいなとは思っています。

――そういうことを意識しているのですね

たぬかな:元々私は声出しするタイプで、ゲーセンとかでも叫んでるんですよ。それを嫌がる人もいるんですが、それを好んでくれる方もいるので、それを大事にしていこうと思っています。ナチュラルに叫ぶタイプなので、面白いなって言ってくれるタイプと、ヤバいなこいつって言ってくれるタイプの2つに分かれていたんですね。海外大会とかはリアクションが大きい方が喜んでくれるので、相手に失礼がない範囲で喜ぶようにしています。元々そういう性格でそれを前面に押し出していっているという感じですね。

――国内のゲームシーンについてはどういう風に見ていますか


たぬかな:いろいろなプロの人が増えてきて、業界が活性化はしていると思うんですけど、ゲームセンターは衰退の一途をたどっていると思います。『鉄拳』に関しては特に顕著で、ゲームセンターに今おいてあるのはシーズン1で、家庭用はシーズン2なので、ゲームセンターに本当に人がいないです。あとは家庭用ゲームが良くなりすぎて、家でやる方が回線も良くて、わざわざ行く必要がなくなっているというのもあると思います。esports自体は活性化していても、私が好きだったゲームセンター文化はなくなってしまうのかな、ったのかなと。

――アーケードを盛り上げたいというのはありますか

たぬかな:ありますね。雰囲気が好きなので。昔の県外に行った時にちょっとゲーセン行こうって言って、知らないプレイヤーに乱入したり、立ち見している人がいっぱいいるから、ランクを光らせながら乱入待ちをしたりとかは楽しかったですね。

――アーケードも結構変わってしまったのですね

たぬかな:いつでも誰とでも対戦できるというのは良いと思うんですけど、私はゲームセンターで人と対戦して、終わった後に仲良くなれるのが好きだったので。そういう部活的なノリが好きだったんですよね。

――今活躍している人達のセカンドキャリアについてはどう考えていますか

たぬかな:私の場合はプロゲーマー自体をいつまでも続ける気はなくて、結婚したら引退するつもりです。元々から30歳ぐらいになってまではこの仕事はしないですって言ってて、女性は結婚して子供を産んで、というライフステージの変化があるじゃないですか。今までやってきた仕事も活かせることもあると思うので、辞めたらゲームは仕事としてではなく何も考えずにゲームをしたいと思っています。

――後輩を育てたり、実況に転身はないのでしょうか

たぬかな:あるかもしれないですけど、ゲームの世界で頑張ってきたからと言って固執するのは違うなと思っていて。趣味として小物作りも結構やっているんですけど、そっち系でやっていきたいなとも思っているので、小物作りを趣味兼仕事でしながら、趣味でゲームをできればいいなと思っています。反応が20歳ぐらいの頃は見えていたのに、今はもう見えなくなったものもあって。どんどん反応が落ちてきている自覚はあります。プレイヤーとしては良い印象で終わりたいなと思っています。

▲たぬかな氏が作成したALIENWAREのモニターや机、スマートフォンなど

――今後チャレンジしてみたいことはありますか

たぬかな:地方の盛り上げですね。esportsチームが少なすぎるので、各都道府県から全部出てほしいと思っています。なので、私はまず徳島にチームを作るのを応援したいと思っていて、徳島ってWi-Fiの普及率が全国1位らしいんですよ。ゲームの環境としては良いので、隠れゲーマーもいると思うので、サポートしてくれる企業を徳島の企業さんの中から探して、esportsチームを作って欲しいと先日お話したんです。そのために自分ができることがあれば手伝っていきたいですね。

――最後に読者に対してメッセージをお願いします

たぬかな:みなさん、あなたの県にesportsチームはありますか?ないなら立ち上げましょう!そういう人を集めて立ち上げることで、ゲーム業界のためになるし、自分のためにもなります。地方の盛り上げとゲーム業界の両方のためになるので、一緒に頑張っていきましょう。

――ありがとうございました



プロゲーマーとしてはもちろん、女性としてのキャリアと真剣に向き合っているたぬかな氏。今後彼女がゲーム業界、地方の盛り上げにどのような仕掛けをしていくのか。注目です。

※UPDATE(2018/12/26 23:40):タイトルを一部修正いたしました
《森元行@Game*Spark》

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