子どもの頃の夢はゲームセンターの店長、新卒から10年で社長就任・・・日本ファルコム近藤季洋社長 2ページ目 | GameBusiness.jp

子どもの頃の夢はゲームセンターの店長、新卒から10年で社長就任・・・日本ファルコム近藤季洋社長

日本のゲーム史を語る上で外せない老舗メーカー、日本ファルコム。1981年に創業し、『イース』『軌跡シリーズ』『ザナドゥ』など、数々の人気シリーズで親しまれています。

企業動向 戦略

PCゲームの販売で学んだことがコンシューマでも生きた



―――その後、2006年から家庭用ゲームに進出されます。PCゲームは凍結なのでしょうか?

いえ、今でもSteamでダウンロード販売をしていますし、PCゲームには愛着もあります。ただ自分が社長に就任してから年々売り場の面積が縮小していって、それでもコツコツとPCゲームを作り続けていたところがありました。そんな折、かなり力を入れて作ったゲームがまったく売れず、会社の最低販売本数を更新する事態がありました。それが契機になって、本格的に家庭用メインに舵を切り替えました。

―――そうだったんですか・・・。

ただ最初は低空飛行が続きました。第一弾が『ぐるみん』のPSP移植で、次が『英雄伝説 空の軌跡FC』でしたが、最初はどちらも二万本程度しか売れませんでした。自分たちが思い入れがあるタイトルだけに、コンシューマのお客様に認知されていないことが分かり、こたえましたね。

―――それでも家庭用で続けられたのはなぜですか?

一つには市場動向がありました。当時はニンテンドーDSがヒットしていましたが、自分たちはPSPへの移植を選択しました。市場的にはDSだったのでしょうが、自分たちのゲームはPSPのユーザーに向いているという思いがありました。それをわかって参入したのだから、少し我慢してみようと思ったんです。そのことから、これは弊社ならではだと思うのですが、『英雄伝説 空の軌跡FC』の広告を発売から一年経っても出し続けました。

―――風向きが変わったのはいつからですか?

PSP-2000が発売された頃です。その頃から二作目の『SC』が急激に売れ始めて、それに合わせて『FC』も売れるようになりました。広告を出し続けた効果もあってか、当時ゲームショップで「店頭に置いておけば確実にリピートで売れる」商材という評価をいただいていたようです。そうした評価がPSP-2000にあわせて、一気に受注につながったという感じです。

―――地道な努力が実を結んだんですね。

でも、これはPCゲームで学んだことなんですよ。「広告は出し続ける」「ファルコムのタイトルは売れ方が独特なので、流通に理解してもらうには工夫が必要」などですね。実はPCゲームの頃は『イース』シリーズが稼ぎ頭でした。しかしコンシューマで売れるのは『軌跡』シリーズではないかと思っていました。実際、これを機に『イース』と『軌跡』は売り上げが逆転し、『軌跡』シリーズは新たな看板タイトルとして成長してきました。。

―――御社のタイトルはシリーズを重ねるごとに、少しずつ正常進化していく印象があります。

そこは少数精鋭のゲーム作りとも関係しています。毎回新しい世界観や主人公を登場させて、斬新なゲームが作れれば良いんでしょうが、様々な事情から毎回そういうわけにもいきません。だったら世界観やキャラクターを共有して、シリーズを続けながら丁寧にゲームを作っていく方法はどうだろうと。そういうやり方だからこそできることもあります。大前提として作り続けていれば、クオリティは上げられるはずです。そのため現場にも「継続する方が強い、作り手側が飽きてはいけない」と常々いっています。

―――シリーズを続けることで、新規ユーザーが入りにくくなる恐れもあります。

そのリスクは常に考えていて、一作ごとにさまざまな挑戦をしています。『軌跡』シリーズでも『空の軌跡』『零の軌跡』と比べて、『閃の軌跡』ではぐっと年齢層が下がりました。弊社のファンには8ビット時代からずっと遊んでくれているような、熱心な方も多いのですが、一方で学生をはじめ若い方も増えています。アクティブユーザーにあわせて、常に時代に合った新鮮な要素を入れることが大切です。僕らも若いころ、先輩に「いま作っているゲームが売れなければ、次回作は作れないよ」と言われました。

―――家庭用ゲーム市場が厳しくなる中で、スマートフォンやソーシャルゲームに対する取り組みについては、どのように考えられていますか?

実は今の家庭用の状況って、僕らはすでにPCで一回経験しているんです。他の企業がどんどん撤退していく中で、僕らはずっとPCゲームにこだわっていて、最後は流通さんに「もうPCゲームを売るのは終わりです」と言われたくらいですから。でも減ったとはいっても、今もまだ家庭用ゲームに価値を見いだしてくれているお客様が確実にいて、弊社には家庭用ゲームを作りたい開発者がたくさんいます。この両方の思いは、大切にしたいですよね。ただし、スマートフォンに参入する必要性は強く感じていますし、試験的にアプリを作っていたりもします。そこはかつて、PCゲームから家庭用ゲームに舵を切り替えた時期と似てきてはいます。

―――スマートフォンでの開発の手応えはいかがですか?

努力はしていますが、スマホでファルコムらしいゲームが作れるというレベルまで、まだ到達できていないですね。せっかく出すのであれば、自分たちが胸を張って出せるものにしたいと思っています。よく結婚に例えるんですよ。いくら結婚したくても、異性なら誰でもいいというわけにはいかないですよね。無理をすれば、かえって不幸になりますから。そこは時期もあるだろうし、自分たちの力も蓄えないといけない。厳しい市場で自信のないタイトルで無理に挑戦しても、成功するわけがありません。自分たちの実力と市場の状況でピントがあうよう努力している段階です。

―――アジア圏でも高い人気を集めていますが、今後の海外展開ではどのように取り組んでいきますか?

おかげさまで10年以上PCのパッケージゲームをアジア圏で販売しています。現地のパブリッシャーとライセンス契約をして、ローカライズして売ってもらっています。続けてきたことで認知されているという手応えはありますね。ただ本音をいうと自社パブリッシングしたいところもあります。実際に『閃の軌跡』では自社パブリッシングに切り替えて、なかなかの数字を収めました。一方で北米向けでは、Steamも含めてマーベラスUSAさんと提携しています。ここ1-2年で急に売れ始めていて、実際に『イース セルセタの樹海』のPS Vita版では北米の方が良かったほどです。Steamでは『イースオリジン』が国内以上の成功を収めています。もはや海外市場は無視できない状況になっているので、他社との提携も視野に入れつつ全方位で進めていきたいですね。

歴代『ザナドゥ』はファルコムの節目となる作品



―――最新作の『東亰ザナドゥ』では、はじめて現代が舞台になりますね。

先ほどもありましたが、『軌跡』シリーズが続く中で新規のお客様に手にとっていただきにくい状況もあるかと思います。一方で『閃の軌跡』でお客様の年齢層がぐっと下がったこともあり、この層に対してさらにゲームを手にとってもらうには、どういった題材が良いか考えました。そこから現代モノというアイディアが出てきたんです。もっとも、現代モノはスタッフと10年くらい前から温めていたアイディアなんですけどね。

―――それは意外でした。

当時は社内も「ファルコムといえばファンタジーもの」という認識が強かったですしね。それが『軌跡』シリーズが続く中で、だんだんとキャラクターの衣装や世界観が現代風になるなど、テイストが変わってきました。下地が出来ていたわけです。それで、いざ現代モノをやろうということになったとき、誰かが企画会議で『ザナドゥ』というタイトル案を上げたんですね。それに現代モノであることの象徴として「東京」をつけたら、ピッタリはまった。それで『東亰ザナドゥ』というタイトルが決まりました。そこからいろいろなイメージやアイディアが出てきて、わずか2ヶ月でプロトタイプが完成しました。たぶん知らないうちに、開発現場にも新しいことをやりたいという思いが充満していたんですね。

―――なるほど。

実は『ザナドゥ』は弊社が何か新しいことをする時の節目となるゲームで、PCゲームで40万本の大ヒットを記録した『ザナドゥ』(1985)、PCエンジンに参入した『風の伝説ザナドゥ』(1995)、3DCGの『ザナドゥ・ネクスト』(2005)と、ほぼ10年ごとに新作が出ているんです。まったくの偶然ですが、『東亰ザナドゥ』(2015)もそうなりますね。開発を始めたのが2014年の6月で、発売が9月30日なので、ほぼ15ヶ月です。弊社らしく短期間でクオリティの高いゲームに仕上がると思います。

―――ゲームの場所が立川というのは、御社のお膝元だからですか?

もちろんそれもありますが、立川市はここ数年でかなり再開発が進んでいるんです。第二次世界大戦後に米軍基地ができて、基地が返還されて再開発が始まって、今秋にはららぽーと立川立飛もオープンしますが、一方で当時の商店街や陸上自衛隊の立川駐屯地も残っている。こんな風に急激に変わった街には新旧のひずみがあるはずで、ドラマの場所として最適なんですね。いろんな意味でモチベーション高く作っています。

―――まったくの興味本位ですが、バーチャルリアリティにはどのような印象をお持ちですか?

Oculus RiftやProject Morpheusなどで盛り上がっていますよね。技術陣はすごく興味を持っていますし、自分も同じです。なにしろ全く初めての体験ですからね。僕も『サマーレッスン』をプレーして、女の子に近づかれた時は、恥ずかしくて顔を背けてしまいました。びっくりしたのと、ゲームとしてどう落とし込むか、そのバランスが重要でしょう。いずれにせよ、何か作ってみたい思いはありますね。

―――余談ですがアウトドアがお好きだと伺いました。仕事との接点はありますか?

登山が好きで良く山を歩いています。もともとは父親の影響で子どもの頃から山に連れてこられて、最初はあまりに辛いものだから、泣きながらのぼっていましたが、次第にハマってしまいました。僕は怠惰な人間なので、放っておくとどんどん自堕落に流れがちなんですよ。でも登山では本気で取り組まないと、文字通り命にかかわる状況に直面することが多いんですね。ああ、ここでザイルから手を離したり、足を滑らしたりすると死ぬな・・・という。そういった緊張感を常に忘れないでいたいと考えています。何事も本気で取り組みたいですし、取り組まないとダメですし、でももとが怠惰な人間だから、そういった環境に身を置くことも、時には大事だなと思っています。

―――それでは最後にゲームファンに向けてひとことお願いします。

今年で創業34年目になりますが、創業者の加藤いわく「昔も今もやっていることは同じ」です。「今からスマホゲームに参入なんて遅すぎる」などと言われることもありますが、加藤によると弊社がPCゲームに参入したときも、やっぱり「遅すぎる」と言われたそうです。そこから考えて、何ごとも遅すぎることはないというのが結論です。プラットフォームは変わっても、ゲーム作りに対する姿勢や、皆さんからファルコム流と言われるような部分を大切にして、これからも作り続けていきます。うちみたいな会社があったほうが、ゲーム業界も楽しいと思うんですよ。これからも長く見守ってください。


●取材後記●

私が近藤さんに初めて会ったのは、2011年の東京ゲームショウでのパーティ会場でした。創業社長の加藤(現・会長)さんから近藤さんに代替わりをしたのが2007年でしたので、代表就任からすでに4年以上が経過していました。初対面の印象は想像に反して、お若い方というものでした。というのも日本ファルコムへの私の印象は、PCゲームから創業した歴史のある組織と、加藤さんとの年齢差を感じたのが率直なところでした。

近藤さんは社長として、家庭用ゲームコンテンツへの展開、また「軌跡」シリーズの充実、コンテンツの水平展開など近藤社長の積極的な展開が結実し、それが従来のファルコムの伝統に新規性とラインナップの充実をもたらしました。

今回の、近藤さんのインタビューを通じて感じたことは、自分にできることに真剣に取り組み、常にベストを尽くすという日本ファルコムの姿勢を改めて感じることができました。

9月発売の「東京ザナドゥ」は日本ファルコムの所在地である立川が舞台になっています。そこは、古いものと新しいものが混在する街です。日本ファルコムの変化は、ある時に街の景色が変わることに似ているように思います。街角にあった古い家屋やビルが姿を消します。そこにあったものの記憶は少し薄れていきますが、そこに新しく出来た風景は時間は掛からずに風景に溶け込みます。常に自らの考える良い方向への変化を恐れずに進むというものです。

近藤さん、日本ファルコム広報様ならびに編集スタッフの皆様に感謝を申し上げます。

《黒川文雄》

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