「職業選択の自由」という名のゲーム・・・黒川文雄「エンタメ創世記」第39回 | GameBusiness.jp

「職業選択の自由」という名のゲーム・・・黒川文雄「エンタメ創世記」第39回

日本人として生まれたときから、日本国憲法第22条第1項に定められている「職業選択の自由」という権利を有している。つまり、誰でもどんな職業を選ぶことができるというものだ。とは言うものの、昨今の就職難や求人を見ると自由に選べるというわけでもないことは誰の目

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日本人として生まれたときから、日本国憲法第22条第1項に定められている「職業選択の自由」という権利を有している。つまり、誰でもどんな職業を選ぶことができるというものだ。とは言うものの、昨今の就職難や求人を見ると自由に選べるというわけでもないことは誰の目
  • 日本人として生まれたときから、日本国憲法第22条第1項に定められている「職業選択の自由」という権利を有している。つまり、誰でもどんな職業を選ぶことができるというものだ。とは言うものの、昨今の就職難や求人を見ると自由に選べるというわけでもないことは誰の目
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日本人として生まれたときから、日本国憲法第22条第1項に定められている「職業選択の自由」という権利を有している。つまり、誰でもどんな職業を選ぶことができるというものだ。とは言うものの、昨今の就職難や求人を見ると自由に選べるというわけでもないことは誰の目にも明らかで、選択に自由を与えられても、その需給がマッチしないかぎり、その固有の権利は持ち腐れということになる。

一方、個人的によく耳にしたのは「・・・(今の会社)を辞めたら、ラーメン屋でもやろうか」とか「運転が好きだからタクシー運転手にでもなろうか」というものである。しかし、ラーメン一杯に命を懸けるような店主や舌の肥えた客が増えた今となっては、そのような世の中を小馬鹿にした声は聞かなくなった。どんな職業にもそれなりの知識や勉強、反芻、努力が必要で、それを怠れば支持を維持することは難しい時代になった。

さて、職業はマッチングという話を冒頭に述べ、双方が納得するケースが無い場合どうするのか?

自分で何かを始める、自分でその職業を創り出す、自分で何かの作品を創り出すという選択肢がある。その選択を選ぶことは簡単だが、実はとても難しい。そんな挑戦を続けるものたちの話を聞く機会に恵まれた。

1月23日、大阪北区にあるデジタルハリウッド大阪校舎で黒川塾二十参(23)「ゲーム作りは大変じゃない!?・・・」というテーマで話合うことが実現した。

ゲストは吉田修平氏(SCE)、水谷俊次氏(PLAYISM)、五十嵐孝司氏(ArtPlay)、そして楢村匠氏(NIGORO)という豪華なゲストに登壇をいただくことができた。中でもこの黒川塾の企画の原点は2013年の東京ゲームショウの期間中に開催されたINDIE STREAMというインディー系ゲームパブリッシャーの決起集会が発端だった。その会場では吉田氏に黒川塾の登壇のお願いを初めてさせていただいた場所であり、楢村氏との接点を強めたものその会でのことであり、2年近くの時間が経過してしまったが、楢村氏を始めとした独立系のゲーム開発者の考えや開発への想いや、そして現実的な生活との両輪を深く掘り下げて話してもらうことを考えていた。

それによって、何かを創りたいと思っている人や、何かを始めようと考えている人の背中を押せることの役に立てるのではないかと思ったことが今回の黒川塾の企画の原点だ。

ゲーム開発をやりたい、ゲームを世に送り出したい、と思っても現実には簡単なものではない。生計を立てられるかどうかはわからない。楢村氏は「どんなことでも10年はやらないと芽が出ないとい言いますが、苦労していたときからスタートしている人は生き残っている」という。かつては、WEB系のデザイナーとして生活のために働き、空き時間にコツコツとドット絵を描き、ゲーム開発のアイディアを練っていたという。

そこには楢村氏自身が思い描くゲームの理想像とゲーム性があったが故にブレずに道程を辿ったことだろう。ゆえに彼は言葉を選び、自身の背景と照らし合わせるように慎重に発言を重ねた。まさに続けてきたものこそが伝えられる想いがそこにはあったと思う。

さらに楢村氏は自身を振り返って、大変な道を選んだという思いもあったが「覚悟」が前提としてあったという、さらには「10年続けて芽が出なくとも、その経験が別のことを生かせるかもしれないという、プラスに考えることが重要ではないか」という。おそらくそれはすべての職業に言えることだ。私自身もエンタメ人生一筋とはいえ、会社を数回変わってきたが、それぞれの経験や知識がほかの業界で活かせたことは自身の成長にとって大きなことだったと思う。そのあたりの思考や発想も重要な点と言える。

五十嵐氏は大手ゲームパブリッシャーを昨年退職して、現在の新しいポジションで新作を開発中である。一般的に大手パブリッシャーが続編ばかりをリリースするスタンスとは異なる「自分が作りたいと思うようなコンテンツ」を目指して開発を行って行きたいと語った。またゲームというコンテンツとって重要なことはコントローラーというデバイスを用いることが重要な要素で、それを再認識するようなコンテンツを手掛けてみたいと言った。これも自身の拘りである。

水谷氏は、作ったゲームがつまらなければ大手のパブリッシャーであってもNGを出す。一方、無名の方でも優れたゲームであればパブリッシングをすると断言する。そこには経験や実績に基づく判断基準ではなく、常にフラットな姿勢でよいコンテンツを世に送り出したいと思っている。

吉田氏は、インディーゲームは「制作者と会話をしながらプレイする感覚」「小規模での制作だからこそ、ひとりのディレクターの目の行き届いた配慮が見えること」にあると語った。さらにはSCEJAやアジアでのインディーゲームの体制が整ったことに関しては、欧米よりは遅れたものの、“Better late than never”(遅れてもやらないよりはよい)という発言をした。おそらく人生すべてに当てはめてみても心に響く言葉になるはずだ。

今回の黒川塾のテーマは「ゲーム作りは大変じゃない!?・・・」だが、この「!」か「?」なのかで大きな違いがあると思っている。「!」は断定形で、簡単ではない=やろうと思えば実現できるというスタンスで、一方、「?」は不安や困難、孤独を髣髴とさせる。どちらを考えるかは個々人によって異なることと思う。しかし、最後に僕が思うことは「自身の前に扉がある。それを開けるか開けないかは自身の判断かもしれない。でもやりたいと思うならば、その扉を開けてみよう。」そして、それも選択の自由だ。求めよさらば与えられん。

黒川塾 写真提供:宮澤修平


■著者紹介

黒川文雄
くろかわ・ふみお 1960年、東京都生まれ。音楽ビジネス、ギャガにて映画・映像ビジネス、セガ、デジキューブ、コナミDE、にてゲームソフトビジネス、デックス、NHNjapanにてオンラインゲームコンテンツ、そしてブシロードにてカードゲームビジネスなどエンタテインメントビジネスとコンテンツの表と裏を知りつくすメディアコンテンツ研究家。コラム執筆家。黒川メディアコンテンツ研究所・所長。黒川塾主宰。「ANA747 FOREVER」(映像作品)「アルテイル」「円環のパンデミカ」「モンケン」「鬼畜教師(仮)」他コンテンツプロデュース作多数。

ツイッターアカウント ku6kawa230
ブログ「黒川文雄の『帰ってきた!大江戸デジタル走査線』
ニコニコチャンネル 黒川塾ブロマガ」も更新中。
《黒川文雄》

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