OPTPiXはこうして生まれた!ウェブテクノロジ設立物語(後編)・・・「OPTPiXを256倍使うための頁」第4回 | GameBusiness.jp

OPTPiXはこうして生まれた!ウェブテクノロジ設立物語(後編)・・・「OPTPiXを256倍使うための頁」第4回

ゲーム業界のデファクトスタンダードとなった画像最適化ツール「 OPTPiX imesta 」を筆頭に、汎用2Dスプライトアニメーションデータ作成ツール「 SpriteStudio 」、3Dキャラで組み立てる、マンガ作成ツール「 コミPo! 」など、幅広い製品展開を進めるウェブテクノロジ。

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ゲーム業界のデファクトスタンダードとなった画像最適化ツール「 OPTPiX imesta 」を筆頭に、汎用2Dスプライトアニメーションデータ作成ツール「 SpriteStudio 」、3Dキャラで組み立てる、マンガ作成ツール「 コミPo! 」など、幅広い製品展開を進めるウェブテクノロジ。
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ゲーム業界のデファクトスタンダードとなった画像最適化ツール「OPTPiX imesta」を筆頭に、汎用2Dスプライトアニメーションデータ作成ツール「SpriteStudio」、3Dキャラで組み立てる、マンガ作成ツール「コミPo!」など、幅広い製品展開を進めるウェブテクノロジ。後編では同社がゲーム業界の内外でツールメーカーとして大きく成長していく様子を、代表取締役の小高輝真氏と共に振り返ります。

前編のおさらい

ウェブテクノロジは小高が大学院修了とともに1991年に立ち上げた会社で、当初は書籍・雑誌記事の執筆と受託開発を業務の主軸としていました。1995年ごろからインターネットでシェアウェア販売ができるようになり、受託業務の合間にシェアウェア開発をはじめました。そのなかの一つが画像減色ツールの「OPTPiX」で、今の「OPTPiX imesta」シリーズの原型です。それが10年以上にわたる当社の主力製品に育つとは、当時は想像すらしていませんでした。

■「OPTPiX」が口コミで評判となり、ゲーム業界との接点に

1997年秋に、美少女ゲーム『To Heart』などが大ヒットしていたゲーム開発会社のリーフさんが、自社ウェブサイトでOPTPiXを紹介してくださったのが最初のブレイクのきっかけになりました。当時のPCは性能が低かったため、PCゲームといえども画像は256色に減色して使用するのが一般的でした。画像のクオリティが重要な美少女ゲームでは、高画質な減色というのが非常に重宝されたのだと思います。その後のリーフさんの作品では、「減色にOPTPiXを使用した」とゲームのCD-ROMのReadmeファイルに書き込んでくれました。

それが口コミで広まったようで、大手ゲーム会社からぽつぽつと注文のメールが届きはじめました。シェアウェアは直販なので、メールアドレスのドメイン名で購入した企業名がわかるわけです。特に初期の頃は、コナミ東京さん(現:コナミデジタルエンタテインメント)とスクウェアさん(現:スクウェア・エニックス)から高い評価をいただきまして、OPTPiXを初代PlayStation®(以下、PS)のゲーム開発に対応させるための改良依頼が舞い込みました。

当時はゲーム開発の知識はほとんどありませんでしたから、「抜き色に対応して欲しいんだけど」「抜き色って何ですか?」など、現場のクリエイターから教えられることばかりでした。スクウェアさんでは、PCモニタ上の元画像と、PS開発機(いわゆるデバステ)経由のテレビ画面での発色の違いを実際に見せていただきました。PCモニタ上では暗いグラデーションになっている部分がテレビに出力すると真っ黒に潰れてしまったり、赤色が強調されすぎて眩しくなったりしていたんです。PSのDAC(D/A Converter)とテレビの色味にマッチするように減色アルゴリズムを工夫する必要があることを学びました。

■「PS開発専用版OPTPiX」が『ファイナルファンタジーVIII』の開発に貢献

さっそく社内に持ち帰って、「PS開発専用版OPTPiX」の改良を進めました。それを見せに行って、また要望をいただいてきて。そんな風にして、ゲーム業界の「こんな機能が欲しい」という声をもとに、「PS開発専用版OPTPiX」はバージョンアップを繰り返していったんです。

もっともそのときは、これをどうやって育てていけばいいのか、まだわかりませんでした。ゲーム業界の市場規模が大きいことはよく知っていました。しかし、参入する方法がわからなかったんです。面白そうだし滅多にない機会だと思って一生懸命やっていました。実際、OPTPiXは現場のゲームクリエイターに育てられたようなものです。

最初の「OPTPiX Ver.1」は4,800円で販売していました。シェアウェアでは一般的な価格帯でしたが、何万本、何十万本と売れるゲームソフトとは違うので、この価格でやっていては会社としてビジネスにはなりません。そこで次第に、OPTPiXの権利は自社で保持しつつ、機能拡張の開発費をゲームメーカーさんからいただくようになりました。ゲームメーカーさんはゲームを作るのが本業なので、この点はご理解いただけて有り難かったです。改良版をリリースするたびに、たいへん喜んでいただけたのも励みになりました。

そんな「PS開発専用版OPTPiX」を大量導入して開発されたのが、1999年に初代PS向けに発売された『ファイナルファンタジーVIII』(スクウェア)です。このゲームでは、テクスチャの減色はすべて「PS開発専用版OPTPiX」で行われています。手作業で一枚ずつ重要な色味を指定する機能もありましたが、それは使わなくても充分なクオリティだったので一括処理で減色した、と伺っています。

その後「OPTPiX Ver.1」は第10回「中小企業優秀新技術・新製品賞」で、ソフトウェア部門の奨励賞も受賞させていただきました。

「PS開発専用版OPTPiX」を大量導入して開発された『ファイナルファンタジーVIII』第10回「中小企業優秀新技術・新製品賞」受賞記念の盾


■プロ向けの高付加価値ツールに焦点を定める

『ファイナルファンタジーVIII』で採用されたことで、ゲーム業界向けの画像最適化ツールとして、手応えがつかめました。その頃から、業界で次第にPlayStation®2(以下、PS2)の噂が出てきました。PS2開発専用のOPTPiXを広く販売したい。そうなるとシェアウェアの価格帯で開発・販売するのは不可能なので、相応の価格にして開発専用の機能を多数搭載した、プロ用ツールにする必要がある。そういった社内議論を重ねていました。ちょうどソニー・コンピュータエンタテインメント(SCEI)さんで初代PS向けにツール&ミドルウェア契約の制度ができたことも、追い風になりました。余談ですが、当時のSCEIツール&ミドルウェア契約の窓口は、その後CEDEC運営委員長を歴任した吉岡直人さんでした。

このようにして、シェアウェアだったOPTPiXをベースに、ゲーム業界向けに特化したツールとしてリニューアルしたのが、「OPTPiX iMageStudio」(現在のOPTPiX imesta)です。価格は98,000円としました。当時のPhotoshopと同じ価格帯で、実売価格では上回ることもありました。最初の頃は「なんで『Photoshop』より高いんですか?」と文句を言われ続けました。

OPTPiX imestaの減色比較サンプル。色数を減らしながらも、なめらかな階調を維持していることがわかる。


しかし、クリエイターの皆さんは目が肥えているので、一度使えばその良さをわかっていただけました。私たちも訪問先で、生産効率の向上や、クオリティの高さなどを丁寧に説明しました。あわせて機能の追加要望のヒアリングを続けて、どんどん実装していきました。だんだんと痒いところに手が届くツールに成長していったことで、価格については何も言われなくなりました。

もっともPS2の発売前は不安もありました。ゲーム機の性能が高すぎて、減色ツールは不要になるんじゃないかと。ところが、実際には減色テクスチャを使わないとPS2の性能が充分発揮できないことがわかってきて、特にαチャンネル付きで減色してくれるツールが他になかったので、全ての大手ゲームメーカーに導入していただきました。そのためか、いくつかあった国内外の競合製品は、全て姿を消してしまいました。

ただし、さきほどの危惧はPlayStation®3(以下、PS3)のリリースで的中してしまいます。PS3はPS2までと違ってGPUがインデックスカラーに対応していないので、減色のニーズが減少したのです。その一方でスマホゲームが急成長して、次第に需要が逆転していきました。最新版は「OPTPiX imesta 7 for Mobile & Social」で、いまの当社の主力製品です。

■ゲーム業界のデファクトスタンダードとなり、横展開が進む

話を2000年代初頭に戻します。PS2向けゲーム開発では必須のツールと言っていただけるようになったので、OPTPiX iMageStudioをもっと多くのゲーム開発に役立てていただきたいと思い、他のコンシューマーゲーム機への対応を進めました。

2001年に任天堂さんと契約を結び「OPTPiX iMageStudio for GAMEBOY ADVANCE®」を開発、2002年には「OPTPiX iMageStudio for NINTENDO GAMECUBE®」をリリースしました。同年にはマイクロソフトさんと初代Xbox®のツール開発契約も締結し、三陣営をカバー。

2004年には「OPTPiX iMageStudio for NINTENDO DS®」をリリースしましたが、このときはゲーム機の発売より半年以上前に提供できるまでになりました。ゲームボーイアドバンスやゲームキューブ向けのOPTPiX iMageStudioは、それほど沢山は売れなかったのですが、当社が真面目にツール開発に取り組んでいることが任天堂さんに伝わったからだと思います。英語版「OPTPiX iMageStudio for NINTENDO DS®」を、Nintendo of Americaから販売できるように取りはからってもいただき、大変感謝しています。

ゲーム業界のデファクトスタンダードになったあとは、さらに幅広い用途に向けた「OPTPiX iMageStudio X-MP」という製品もラインナップに加えました。XboxとWindowsで使用するDirectXを示すXと、Multi Purpose(汎用)から取った名前です。このバージョンを発売したところ、ぱちんこ・パチスロの液晶画面のコンテンツ制作用に沢山導入していただきました。ぱちんこ・パチスロもかなりの市場規模で、画質の善し悪しがコンテンツの魅力に関わるものなので、重宝されたようです。ああ、こんなところにもニーズがあるんだと、驚かされました。

OPTPiX iMageStudioを使って開発されたゲームの一部OPTPiX iMageStudioの初期の頃のパッケージ


■異業種への展開…デジタル放送、カーナビからハリウッド進出まで

異業種という点では、BSデジタル放送や地上デジタル放送でも、OPTPiXが使用されています。2000年の夏頃、当社ウェブサイトの製品紹介を見たNHKさんから問い合わせがありました。
データ放送の画像作成にもOPTPiXシリーズが使われている


同年12月のBSデジタル放送開始に先立って、新たに始まるデータ放送(テレビリモコンのdボタンを押すと出てくる画面)のコンテンツを作るための画像処理ソフトが必要という話でした。データ放送用規格「ARIB STD-B24」の仕様では、αチャンネル付インデックスカラーPNGを使用するため、PS2のテクスチャと同じ構造だったのです。

ただし256色のパレットのうち前半分は固定で、残りの半分しか自由に使えませんでしたし、画面全体でひとつのパレットしか使えないので、なかなか大変でした。それを弊社の清水和文が頑張って対応しました。それが「OPTPiX iMageStudio for BS digital」(現在の「OPTPiX imesta for Digital Broadcast」)です。

渋谷のNHK本局が採用したことで、NHKの子会社や取引先でも導入が進みました。今でもデータ放送の制作に使用されていると思います。もちろん、民放でも採用していただいています。

カーナビなどの組込機器開発で利用


放送業界に続いて、カーナビや液晶テレビ、ハードディスク・レコーダーなどの組込機器でも広く使っていただくようになりました。表示色数の少ないデバイスや、ROM容量を節約しつつ美しい表示をするには、高い減色性能が重要だからです。いまでは多くのカーナビメーカーや大手家電メーカーで採用されています。

ちょっと変わったところでは、ブルーレイディスクのオーサリングでも使われているんですよ。一時期、ハリウッドの大手映画会社から次々にOPTPiX iMageStudio X-MP(英語版)の注文をいただき、驚かされました。ブルーレイディスクのチャプターサムネイルがαチャンネル付インデックスカラーのため、サムネイルの高画質化のためにOPTPiXに白羽の矢が立ったのです。ちょうどHD DVDとの規格争いが激しかった時期で、細かいところにも気を配って制作していたのだと思います。

■コピー複合機にも組み込まれているOPTPiX

リコーさんのコピー複合機にもOPTPiXのテクノロジーが使用されています。最近の複合機では文書をスキャンしてPDFに変換する機能が付いています。多くの機種ではスキャン画像はJPEG圧縮の状態でPDFに貼り込まれているのですが、オフィス文書は大半が文字やグラフなので、OPTPiXで減色してPNG圧縮する方が、輪郭がくっきりして綺麗なのです。

リコー製の複合機にもOPTPiXの減色エンジンが組み込まれている クリアライトPDFの説明。文字部分にOPTPiX の減色エンジンが使用されるので、くっきりとした文字でスキャンできる。


これ以外にも珍しいところでは、XaviXという体感ゲーム機用LSIに対応したバージョンも作りました。XaviXは、家庭用カラオケ玩具の「e-kara」(タカラ、現タカラトミー)で採用されたことで知られたLSIです。心臓部のXaviXを設計・製造しているのが、元任天堂のエンジニアが独立して立ち上げた新世代という企業です。ファミコンのハード設計の思想が随所に見られる、ユニークなLSIでした。

XaviXチップで動作しているe-kara


こんな風にして、2000年代の前半から会社が急成長しました。PS2の波にのって、OPTPiX iMageStudioが画像最適化ツールのデファクトスタンダードに成長できたのが要因でした。また、ゲーム業界の実績が高まるにつれて、異業種からの問い合わせが増え、徐々に採用事例が増えてきました。

■携帯電話向けコンテンツ制作の画像変換にも

携帯電話、今でいうフィーチャーフォンに注目し始めたのも、この頃です。2001年にNTTドコモから503iが発売されましたが、このシリーズからiアプリがスタートして、全機種がカラー液晶になり、着メロと待ち受け画像がキラーコンテンツになりました。ただ、機種が次々発売されるにつれて、待ち受け画像を機種毎の液晶サイズや表示性能(色数やファイル形式など)に合わせることが、コンテンツプロバイダーの負担になってきました。

そこで、各機種の画像サイズなどの仕様をデータベース化して、ひとつの元画像から機種毎に最適化した画像ファイルを一括して自動生成する機能を開発しました。その機能を搭載したのが、2003年にリリースした「OPTPiX iMageStudio for Mobile Contents(現在のOPTPiX imesta 7 for Mobile & Social)」です。

この製品をリリースして分かったのですが、Windows向けのソフトとは別に、サーバー上で自動的に変換するシステムも欲しいという声が寄せられました。しかし当時は、サーバーインフラの技術やノウハウが充分ではありませんでした。

OPTPicture ASPの仕組み


そこで、待ち受け画像コンテンツ最大手だったジグノシステムジャパンと協業でASP化しました。それが2004年にサービスインした「OPTPiX GS iMageCreator」です。その後、自社でサーバーインフラも手がけるようになり、2006年に「OPTPicture」の運用も開始しました。今では国内6キャリア、800機種以上に対応し、OPTPiX GS iMageCreatorも当社で運用しています。
このASPは、身近なところでは全日空さんのSKiPサービスで採用されています。スマホや携帯で二次元バーコードの航空券を表示するときには、OPTPicture ASPサーバーでOPTPiXが動いているのです。

他にも2007年にはサミーネットワークスさんの「ケータイPOST」に画像処理エンジンを提供しました。これは携帯電話で撮影した写真画像をもとに、さまざまなパーツを組み合わせて画面上で年賀状を作成すると、それをハガキに印刷してポストに投函してくれるサービスです。

2008年にサービスインしたきせかえツール制作サービスの「きせかえASP」でも当社の画像処理エンジンが使われています。これも携帯電話で撮影した写真画像を元に、あらかじめ用意したメニューテンプレートなどを組み合わせて、オリジナルの待ち受けFLASHやメニュー画面などのアプリが作成できるというものです。

このように、2000年代半ばからフィーチャーフォン向けの事業が大きく育ってきました。しかし、これらはいずれもスマートフォンへの移行に伴い、事業が縮小しています。これらは時代の変化ですから当然のことです。逆に一つの事業にとどまっていては、時代に取り残されてしまいます。

■現場のニーズから生まれた「SpriteStudio」

ここまでOPTPiXを中心に話を進めてきましたが、ウェブテクノロジの製品はそれだけではありません。ここで簡単に汎用2Dスプライトアニメーションデータ作成ツールの「OPTPiX SpriteStudio」と、3Dキャラで組み立てる、マンガ作成ツール「コミPo!」についても、ご紹介しておきましょう。

OPTPiX SpriteStudio


OPTPiX SpriteStudio」のアイディアが生まれたのは、2002年前後のことです。当時は初代PSからPS2の移行期で、3D向け開発環境が充実する一方で、2D向けツールは停滞していました。そのため、2Dスプライトアニメーションに適したツールがないという話をしばしば開発現場で耳にしました。初代PSのSDKに付属していたスプライトエディターのようなツールがPS2やDSの開発でも使いたいということです。だったら、当社で作りましょうと。

その後、スマホゲームの拡大にともない、モバイル向けで新たな2Dツールの需要が拡大していきました。そこで今、あらためて力を入れています。2013年には土台から作り直し、新たにWindowsとMac OS、日本語環境と英語環境に対応した「OPTPiX SpriteStudio 5」をリリースすることができました。

また、近年のUI/UX系の意識の高まりにともない、スマホアプリや組み込み系デバイスでもリッチなUIが求められるようになりました。こうした分野に向けた新しいツールも現在計画中しています。

■初のコンシューマー向け製品となった「コミPo!」。STEAMでの販売も好調

コミPo!」もまた、いろいろな意味で当社のターニングポイントとなった製品です。中心となって発案したのは、当時在籍していた、サラリーマンマンガ家として知られ、一部にコアなファンを持つ田中圭一さんでした。田中さんは3Dキャラクターを組み合わせて、絵を描かなくても誰でも漫画が作れるツールを作りたいという思いを長年温めていました。→詳しい経緯は「コミPo! 開発秘話 TOMOrrow

一方で2008年のリーマン・ショックで、当社も業績面で大きな影響を受けました。OPTPiX iMageStudioの成功で、社内が保守的になっていたきらいもありました。状況を打破するために、何か新しい挑戦をする必要がある。そこで、思い切って開発に着手したのです。

コミPo! 開発ディレクター兼プログラマーの小野知之


なにしろ、それまで「3Dツールを作ったことがない」「企業向け(B2B)が中心で、一般消費者向け(B2C)の製品開発・販売ノウハウがない」「大量の3Dモデルを作らなければいけない」と、チャレンジの連続でした。ただOPTPiXを初めて作ったときと同じで、社内にこうした製品作りに敏感に反応するエンジニアがいました。紆余曲折がありましたが、最終的にOPTPiX開発にも係わっている小野知之が開発ディレクター兼プログラマーとして立ち上がり、チームが不眠不休で開発を続けた結果、2010年末に市場に送り出すことができました。

第23回「中小企業優秀新技術・新製品賞」ソフトウェア部門優秀賞受賞記念の表彰状と盾


おかげさまで「コミPo!」は、OPTPiXに続いて第23回「中小企業優秀新技術・新製品賞」ソフトウェア部門優秀賞を受賞するなど、高く評価いただきました。またB2C向けの製品を作ったことで、会社の認知度も上がりました。最近では「ウェブテクノロジって『コミPo!』の会社だったんですね!」なんて言われることもあります。

リリースしてわかったのですが、漫画制作以外の用途にも広がりが出てきました。地方自治体のパンフレット制作や、ビジネスマンの企画書作成などです。IPA・情報セキュリティ標語・ポスター・4コマ漫画コンクールで制作ツールにも採用されました。そこで、最近ではこうした方面への提案を積極的に進めています。

コミPo! の解説書。ソフトウェアの使い方だけではなく、マンガを描くためのノウハウも取り上げられている東京都経営課題解決支援事業の「経営力向上ハンドブック」と京都府精華町の町勢要覧「創精記」。この他、各地の自治体や教育機関で使われている。


コミPo! には外国語版もあります。2011年から発売している英語版は、今年の3月からダウンロード販売プラットフォームのSTEAMでの販売も始まりました。また、日本同様漫画の人気が高い韓国からも熱烈なオファーがあり、昨年韓国語版も発売されました。いわゆる「萌え絵」が手軽に作れるソフトとして世界各国から注目され、売上を伸ばしつつあります。サポート窓口にはロシアや南米など様々な地域から問い合わせが来ているそうで、漫画という文化が言語の壁を越えて世界中に広がっていることを肌で感じています。

海外では中国語と韓国語のコミPo! 関連の書籍も出版されている。


■改めて『提案型』受託開発にも注力

2000年代に入り、当社はコンテンツ業界に向けて大きく舵を切ることになりましたが、一方で創業時からの受託開発も続けてきました。最近では受託開発の体制を再度強化し、一時期は売上の1割程度だったものが、現在では3割程度を占めるまでになっています。

1997年頃からISDNターミナルアダプタの添付ソフトの開発をお手伝いしてきましたが、その大手メーカーさんとは15年以上もお付き合いが続いていて、いまでもルーター製品の周辺ソフトウェアの開発などを行っています。

ファームウェアとスマホアプリの開発を担当したサーベイメーター


最近の例では放射線測定器のソフトウェア開発に関わりました。東日本大震災のあとに放射線測定器の需要が高まりましたが、X線分析装置メーカーから、業務用サーベイメーター(放射線測定器)のファームウェアとスマートフォンとの連携ソフトウェアの開発依頼があり、当社で完成させました。

その装置メーカーさんからは、そのあとも次々と開発案件の依頼が来て、最近ではインドのオフショア先とのブリッジ業務も行っています。大手半導体メーカーでインドとのブリッジ業務を行っていたメンバーをスカウトしたりして、陣容を強化しています。→ OPTPiX Labs Blog: オフショア開発の要点とインド出張で感じたこと

受託開発というと、発注元から詳細な仕様書を受け取り、それに従って言われたとおりにプログラムを作る、というイメージがあると思いますが、当社の場合は創業時からそのようなタイプの仕事はあまり受けてきませんでした。お客様から大きな目的と考慮したいポイントなどをヒアリングして、仕様をこちらで定義する「提案型」の受託開発を得意としています。

例えばメーカーさんの場合、その製品についての高いコア技術を持っていたとしても、必ずしも周辺ソフトウェア部分の開発(仕様定義も含めて)を得意としているとは限りません。そのような部分で当社が持つ「自社製品を設計できる能力」を生かした受託開発業務を行っています。上記ブログにも書きましたが、将来的にはブリッジ業務を発展させて、オフショアの力を活用した、提案型受託開発業務を行うことに可能性を感じています。

■GTMFとCEDECを通じ、ゲーム業界への恩返しを

製品ではありませんが、2003年からゲーム開発者向けツール&ミドルウェア展示会「Game Tools & Middleware Forum」(GTMF)というイベントを企画し、いまも幹事会社の1社としてウェブテクノロジが運営に関わっています。これも発案は田中圭一さんでした。メーカーがそれぞれ営業するより、まとまって展示会を開いたほうが、お客さんも濃い情報が一度に得られてメリットが大きいですからね。
すでにCEDECもありましたが、参加費を無料にすることと、東京都心と大阪の2会場で開催することで、差別化をはかっています。参加する方のイメージも、CEDECは最先端の情報に触れる場、GTMFはリアルなツール・ミドルウェアの情報源、という違いがあるようです。

2009年からは、小高個人としてですがCEDEC運営委員会に所属して、運営のお手伝いをするようになりました。

CEDEC運営委員は完全にボランティアですし、GTMFの運営にしてもそれで利益が出るタイプの仕事ではありませんが、ここまで会社が成長したのもゲーム業界の皆様に育てていただいたからだという思いがあり、恩返しのつもりで働いています。

GTMF(Game Tools & Middleware Forum)CEDEC(Computer Entertainment Developers Conference)


■テクノロジーは社会をより良くするためにある

1991年に二人の会社で創業してから23年経ち、アルバイトも含めれば35名程度の企業に成長してきました。

考えてみれば、当社がゲーム業界に参入したのは、ちょうどゲーム開発がゲームメーカーの社内ですべて完結していた時代から、徐々に外部のツールやミドルウェアを導入するようになってきた節目の時期でした。ゲーム業界の皆さんは、会社の規模とは関係なく、良いものは良いと評価してくれる文化がありました。口コミで様々な人も紹介してもらえました。

同じような文化は黎明期のPC業界にもありました。国産PC御三家といわれたNEC、富士通、シャープなどは当時から大企業でした。しかし、いずれもPCは基幹事業ではなく、社内ベンチャーのような文化がありました。それが業界全体の大らかな文化に繋がっていたのだと思います。当社もそうしたコミュニティのなかで起業し、成長してきました。

創業当初は、分不相応ながら、日本製ソフトウェアのレベルアップに貢献したいと考えて仕事をしていました。いくつもの幸運に恵まれて、日本のゲーム業界でデファクトスタンダードとなるツールを開発できたことはとても嬉しいことです。そのツールは、海外でも一定の評価を受けることができました。

「社会は常に変化している」という認識のもと、進化し続ける当社を象徴したロゴマーク


創業から今日まで20年以上にわたり会社が存続し、発展できているのは、環境も技術も移り変わっていくなかで、社会のニーズに対応し続ける当社の姿勢が、お客様に認めていただけたからだと思っています。ロゴマークも、「社会は常に変化している」という認識のもと、進化し続ける当社の精神を象徴したものです。

もともと「テクノロジー」が出発点の会社ですが、技術は手段であって目的ではないと考えています。「製品」を提供するのではなく、お客様の問題解決のお手伝いをすることが使命であり、お客様とのコミュニケーションの中から問題を見つけて、一緒に解決していく。そのようにして生み出されたテクノロジーの力を通じて、社会に貢献したいと考え、行動しています。
《小野憲史》

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