悲観論よ、さようなら・・・平林久和「ゲームの未来を語る」第1回 | GameBusiness.jp

悲観論よ、さようなら・・・平林久和「ゲームの未来を語る」第1回

■連載のはじめに(GameBusiness.jp 土本学)

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■連載のはじめに(GameBusiness.jp 土本学)

1年前、GameBusiness.jpの運営をスタートした頃、頭に思い描いていたのは、ゲーム業界をなるべく明るくしたい、ということです。どうしても日々のニュースが中心にはなりますが、暗い話ばかりではなく良い話を届けられるように努力したつもりです。

平林久和氏は編集者として大先輩で、昔から憧れの存在でもありました。ゲーム産業について鋭い考察を見せる氏の文章にいつも強く印象付けられていました。

ここ10年ほど執筆業からは遠ざかっていましたが、数ヶ月前、とある方の紹介でお会いした際、変わらず鋭い目線で今のゲーム産業を語る姿は私が以前に見ていた文章のままでした。いやむしろ、この10年ほどの間、執筆業ではなく実務家としてゲーム産業に向き合った経験は更にそれを輝けるものにしたと感じました。

幸運にも「一筆お願いしたい」という依頼に快く応えていただき、また、「未来を語るものにしたい」という点でも一致することができました。連載は「ゲームの未来を語る」とさせていただき、その第一回は「悲観論よ、さようなら」とします。この連載がゲーム産業に携わる方にとって何かしらのヒントを与えるものになることを期待しています。


■悲観論よ、さようなら

「ゲームの未来」について、語る機会をいただきました。この連載をはじめるにあたり、編集長と3つの約束をしました。1.未来の指針を示すことを語ります。2.読者の皆さま(=ゲーム産業関係者を想定)に希望を持ってもらうことを語ります。3.毎回、具体的なビジネスヒントとなるようなことを語ります。平林久和です。よろしくお願いします。

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ゲームをめぐる情報が洪水のように流れています。情報の「量」と「速さ」は十分すぎるほどです。記者は「速さ」と「量」に敏感であろうとしますが、アナリストの仕事は違います。情報の「つなぎ方」が重要です。一見すると関係のない情報が、結び合うことによって、像が浮かび上がってくることがあります。いわば、見えないものを見ることが私の仕事と心得ています。

私は90年代末期に、ゲームビジネス、具体的に述べますと「家庭用ゲームソフトの売上は長期的に見ると、落ち込むだろう」との予測を立てました。

プレイステーションの成功を支えた流通システム。「新品」を「定価」で販売し、生産数量は問屋ではなく「ユーザーが決める」。このビジネスモデルは画期的で業界に新風を巻き込むものでした。しかし、公正取引委員会の誤った判断により、事実上崩壊を迎えようとしていました。すると何が起きるか? 中古市場が急速に膨らみ、新作ソフトが売れないマーケットに変わることは容易に想像できました。

ゲームを遊ぶことに疲れている顧客層も現れていました。ルールを覚え、勝利を重ねて、エンディングにたどり着く。これがゲームのおもしろさですが、同じことを繰り返せばマンネリになる。ゲーム進行の途中にある謎解きや、戦闘が遊びではなく「義務」と感じてしまうこともある。私はこの心理状態のことを「GAMEのGIMU化」と呼びました。ルールも勝利もエンディングもないゲーム、『プリント倶楽部』『たまごっち』(ともに96年発売)、『ポストペット』(97年リリース)などの流行は、ユーザーの遊び疲れの兆候と解読していました。

70年代後半から80年代前半に創業。動物的ともいえる鋭い感性を持ったゲーム会社社長の何人かは、自社の将来の成長シナリオが描けず、業績が良好のうちに、個人所有の持株を高値で売却する準備をしていました。

かたや、業績が悪化する会社も増えました。中堅ゲームソフト会社の倒産も目立ちはじめます。となると、態度が変わるのは銀行です。ゲームと名がつく企業への貸出審査が一段と厳しくなったのもこの頃でした。ゲーム販売店に資金が回らなくなれば、新作ソフトの仕入れ本数は、おのずと絞られるようになります。

これらの情報をつなげると、90年代末期、私にはどう考えてもバラ色のゲーム業界の像は、浮かび上がってこなかったのです。

私は91年からアスキー(現・エンターブレイン)の皆さんにお世話になり、『ゲーム業界就職読本』という本を毎年刊行させていただいていました。しかし、私の将来展望が「悪化」なのに、ゲーム業界就職ガイドは書きたくありませんでした。無理を言わせていただきシリーズの刊行をとりやめ、そのかわりに『ゲームの時事問題』という本を出すことになりました。この本のサブタイトルは「夢のようなゲームの時代は終わる」という大胆なものでした。

同書が発行されたのは2000年1月のことです。この年の3月にはプレイステーション2が発売されます。プレイステーション2は発表されたと同時にヒットが確実視されたマシンで、多数のゲームソフト会社が参入表明をしていました。ですから、私とは別の情報のつなぎ方をすれば、「2000年以降のゲーム業界は、ますます繁栄する」と予測することもできるわけで、いや、そうした見方をする人が多数派だったように思われます。

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しかしながら、私は「夢のようなゲームの時代は終わる」と言い切ってしまいました。ちなみに『ゲームの時事問題』ではこんな序文が書かれています。長くなりますが、全文引用いたします。

はじめて我が家にゲーム機がやって来たのはいつの日だろう。 
ドキドキしながら箱を開けた。

ちょっと戸惑いながらも剥(む)き出しになった銅色の線をテレビの裏にくっつけた。
画面に映った映像を手で動かすことができる。

あの時の迸(ほとばし)るような興奮は今でも忘れない。
テレビゲームとは「観客」と「主役」を手で結んでしまう人類がはじめて見た物語(ドラマ)。

見渡せばゲームはよく売れた。
ゲームは麻薬のように邪悪で、宗教のように崇高だったから。
「もう一度」と熱中してリプレイボタンを押す指は禁断の薬物をつまむ指のよう。

真剣にコントローラを握るその掌(たなごころ)は神のまえで真摯な祈りを捧げるよう。
麻薬か? 宗教か?
どちらにせよゲームは人間の精神を激しく揺さぶった。

そして夥(おびただ)しい数の中毒患者ないしは信者を生んだ。
さらに麻薬と宗教がそうであるように、それを「売る者」たちには莫大な富みを齎(もたらし)した。ゲームは貧乏な若者を豊かにし、金持ちをもっと裕福にさせた。

しかしゲームは走らないと死ぬ、豹に追いかけられるシマウマのような運命にあった。
中毒患者と信者たちは従順だが、また同時に我侭(わがまま)でもあった。
彼らはもっと強い刺激をせがみ、新しい救いを天に求めた。
彼らは死よりつらい運命、それは退屈だと思っている。
彼らはサバンナに棲まう豹より敏感で獰猛(どうもう)だった。

ゲームはシマウマのように走った、走った、走った、猛スピードで走った。
走ることが唯一の生きる道で、またそれが本能だったから。

ゲームはタフに躍動し、よく疾駆した。
悩み、激しい運動に疲れ果てそうなこともあったが幸せなことも多かった。

仲間内で馬鹿げた喧嘩も多かったけど、空腹は満たされていた。
長い間、夢のような時代を生きてきた。

だが今、ゲームは言いようのない不安に襲われている。
猛獣に食われて夢から醒めるなら悔いはない。
生と死が隣り合わせであることを彼らは経験で知っている。

だがゲームという名のシマウマは環境の変化に驚いている。
一頭、二頭……が死んでいくから不安なのではない。
いつの間にか群れごと見慣れぬ大地に立たされている不安。
生きたままであることの不安。

これから生きていかなくていけない不安が彼らを襲っている。
かつてのような豊潤な牧草はそこにはない。

振り向けば景色は変わっていた。
それはたぶん極限まで走りすぎたせいだろう。

振り向けば景色は変わっていた。
夢のようだったゲームの時代が終わろうとしている。


以上の予測は長期展望であります。期間で言うならば10年スパンの予測です。私はこの先に続く「線」のことを述べていたのです。しかし、情報を「点」としてとらえる人がいるのも当然で、私はそういう方たちから、「ネガティブなコメントをする人」という印象を持たれていたことを自覚していました。

2000年を過ぎてから、私はメディアを通じて意見を書く仕事の比重を減らし、自分で予測した「悪化」を、少しでも食い止める活動を多くするようにしました。

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幸か不幸か、私の予測は当たっています。どんなに派手なCMをしてもゲームソフトの売上は、発売元の見込み本数を下回ることが多くなってきました。売れないソフトに追い打ちをかけるように宣伝費をかけるのは賢明な選択ではありません。

私は販売店の現地調査を何度も行ないました。そこでわかったことは、ゲームソフトのパッケージングの重要性です。ほとんどのユーザーは購入前にパッケージの裏面をじっくりと見てからソフトを購入します。費用対効果が最も高い広告宣伝は「パッケージの裏面をユーザーにとってわかりやすくすること」との仮説を立てました。この考えに同調してくださるゲームソフト会社の方からのご依頼は、ギャラが安くても、もちろん無記名の原稿でも、喜んでお引受けしたものです。

その他には、中途で止まってしまった開発プロジェクトの立て直し、人材教育、会社そのものの再建を手がけるようになります。こう書くと、規模の大きな仕事のようですが、やることは地道な活動の積み重ねです。挨拶のルール、会議中の視線の置き方、連絡と報告の違い、開発者が意外と知らないゲームソフトの収益構造などを、実際にデスクを用意してもらい、肩を並べて教えさせていただいておりました。

100年のことをセンチュリーというように、10年のことをディケイドと言います。2000年以降、ゲーム業界と私のディケイドは、伏して力を貯める我慢のディケイドでした。

さて、2010年も夏が過ぎて、ゲーム業界では何が論じられているのでしょう。悲観論ばかり、そう思いませんか。

戦争を比喩にするのは不謹慎かと思いますが、自分の頭の中に思い浮かぶことなので素直に書かせていただきます。私が悲観論を述べたのは10年前のことです。真珠湾攻撃をするまえに「日本はアメリカと戦争をやったら負ける」と予測をしたつもりです。ですが、今ごろになって「ゲーム業界はますます厳しくなった」などと述べても、読む価値がない。

任天堂の第1四半期が赤字決算だったことや、CESAゲーム白書で公開された対昨年比で市場規模が落ち込んだことを、ほじくり回すようにして述べるのは、1945年の5月あたりに、そのうち日本は敗戦するだろうと、意味のない不幸な予想をしているようなものです。

私の今の情報のつなぎ方によると、2011年以降は、昔と姿は違っていても「ゲームの時代」が再びやってくると予測しています。

2000年時点でブロードバンドサービス加入者は63万人しかいませんでした。2009年には、その数は3164万件になっています。2000年にはサービスを開始していないため0件だった第3世代携帯の契約件数が2009年には1100万件になっています。60歳代、70歳代のお年を召した方がゲームをしています。年代を問わず女性のゲームユーザーはこの10年間で激増しました。映像の3D化は今後の10年間で、当たり前のことのようになるでしょう。そうです。振り向けば景色は変わっているのです。

「これからは海外市場が伸びる、特にアジア市場が伸びる」、「ソーシャル・アプリ市場はまだまだ成長する」。こうした情報のつなぎ方は、多くの方がすでにしていることなので、私が重ねて申し述べることもないでしょう。別の展望を語ります。

この10年間、いや、この産業が誕生したときから、ゲームデザインとは「を・にする」の道を歩んできました。

「テニスをゲームにする」「レースをゲームにする」「射撃をゲームにする」「犯人探しをゲームにする」「野球をゲームにする」「剣と魔法の戦いをゲームにする」「都市計画をゲームにする」「太鼓を叩く行為をゲームにする」……。何かの題材が一定の手順によって、ゲームにされてきました。この創造プロセスのことを私は「『を・にする』の工程」と名づけました。

未来はどうなるのでしょう? 「『が・になる』の時代」がやってくるでしょう。また、そうなってくれることを望みます。「○○がゲームになる」のです。空欄部分○○には、創造力豊かな次世代のゲームクリエイターが、いろいろな言葉を入れてくれるでしょう。「放送がゲームになる」「CO2削減がゲームになる」「住宅がゲームになる」「映画館がゲームになる」……。

プラットフォームの中に閉じ込められたものがゲームではありません。情報・通信・技術が、爆発的な進化をするであろう2011年以降、「社会のいろいろなものがゲームになりたがっている」「日常生活がゲーム化していく」とはいえないでしょうか。

細部を見ればみるほど、ゲームの将来は不安だらけになります。しかし、広い視野で将来を眺めれば、ゲームをつくる力は、世の中を豊かにする原動力になりえます。

長文を読んでくださってありがとうございます。この言葉をもって結ばせていただきます。「あなたの心の中にひそむ、悲観論よ、今日を限りに、さようなら」。

■著者紹介
平林久和(ひらばやし・ひさかず)
株式会社インターラクト(代表取締役/ゲームアナリスト)
1962年・神奈川県生まれ。青山学院大学卒。85年・出版社(現・宝島社)入社後、ゲーム専門誌の創刊編集者となる。91年に独立、現在にいたる。著書・共著に『ゲームの大學』『ゲーム業界就職読本』『ゲームの時事問題』など。現在、本連載と連動して「ゲームの未来」について分析・予測する本を執筆中。詳しくは公式ブログもご参照ください。Twitterアカウントは@HisakazuHです。
《平林久和》

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