「モノづくり」から「会社づくり」へーークリエイターから経営者へのキャリアチェンジ | GameBusiness.jp

「モノづくり」から「会社づくり」へーークリエイターから経営者へのキャリアチェンジ

人材育成 キャリア


GameBusiness.jpをご覧のみなさま、こんにちは。株式会社 DeNA Games Tokyo(以下DGT)の楠薫太郎です。

2017年の夏から書かせていただいた連載ですが、今回で最終回となります。今までお読みいただき、ありがとうございました。最終回は、私がクリエイターとしてどんなキャリアを歩んできたのか、インタビューをしていただきました。

現在、私はDGTの取締役を務めていますが、なぜクリエイターが経営者の道を歩もうと思ったのか、クリエイターが経営者になれるのか、といったところをお伝えさせていただければと思います。おこがましいようですが、私の歩んできた道が読んでくれているみなさんのキャリア形成のお役に立てていただければ幸いです。

過去最高の長文ではございますが、どうぞお付き合いくださいませ。

■「モノづくり」を実現するために



ーーなぜクリエイターを目指したのですか?

大学では商学部に在籍していました。3年生のときに、僕も例に漏れず就職活動を始めて、東京ビックサイトなどで行われる合同説明会に行ったのですが、一発で嫌になり「就活辞めた」って(笑)。

ですが、漠然と東京で食っていかなきゃなーって思っていて。仕事はしないとと思い、「何かやりたいことあったかな」と考えていたら、「TVCMや商品のパッケージに興味があるかも」って気づいたんです。

モノづくりがしたいなと思い、こういうものはデザイナーの仕事かなと。それがデザイナーを目指したきっかけです。漠然とですが、「仕事何やってるの?」って聞かれて、「デザイナー」って言いたかったってのもあります(笑)。

ただ、デザイナーってどうやったらなれるのかはわからなくて。専門学校に行けばなんとかなるだろうと思って資料を取り寄せていたのですが、入学するお金がないことに気づいて(笑)。そもそも大学も奨学金で通っているから、親に「専門学校に行かせてくれ」なんて言えなかったですし。

とりあえず動かなきゃなと、アルバイト情報誌を見てたんです。そうしたら「未経験・デザイナーアシスタント歓迎」みたいな募集があって、「これだ!」と、面接に行ったのがデザイナーになったきっかけですね。なので、大学在学中からキャリアはスタートしていました。

ーーもしモノづくりに携わるなら、デザイナー以外の携わり方もあったと思います。なぜデザイナーだったのでしょう?

「デザイナー」って響きに得体の知れないかっこよさがあったからですね(笑)。

商学部だったので、周りの人たちはデザイナーになろうなんて1人も考えてなかったから、「人と違うことをやろうとしてる自分はかっこいい」って思ってたとこはあったかも(笑)。

■何を作るか、どう作るか



ーー1社目ではどんなことを経験されたのですか?

主に紙媒体を扱っていて、チラシやDMを作ってました。入ってすぐに、ツールの使い方をなんとなく覚えたので、調子にのってすぐに辞めちゃって(笑)。そして、次のステップを目指そうと、他社に行くことにしたんです。

ーー2社目はどんな会社だったのですか?

ENTACL GRAPHICXXX(HP:http://entacl.com/)というWebの制作会社です。ポートフォリオを持って面接に行き、「働かせてください」といって転職をしました。

このときは大学4年生だったのですが、あと1科目の単位を取れば卒業できる状態だったので、火曜日の午前中だけ大学へ行き、それ以外の日はすべて働いてましたね。

この会社は、HPの制作でしたら、ディレクションもデザインもマークアップも、すべて1人でやるような、個人の戦闘力が高い会社で、案件を1人で任せてもらえるようになりましたね。

デザインのスキル的な面だけでなく、働き方や仕事との向き合い方など、デザイナーとしてはもちろん、社会人の基礎はこの会社で教わりました。何も知らないただの大学生を雇ってくれたことに本当に感謝してます。その後、生意気にも「紙もWebも経験したし、新しいことをやろう」と思い、転職をしました。

ーー新しいことに挑戦されたのですね!どんなジャンルだったのですか?

音楽系の案件を中心に扱っているデザインスタジオでした。当時は、マンションの一室にある会社で、社長と僕しかいなかったので、ずっと2人。

この社長さんはデザイナーとしても有名な方で、モノづくりへの姿勢など本当に勉強になることが多かったですね。有名なアーティストと仕事をしている会社だったので、ミーハーな僕としては、CDジャケットのクレジットに自分の名前が載ることを夢見てました(笑)。

この会社は色々な事情があって急遽辞めることになってしまって、これまでと違い次の会社が決まってなかったんです。

ーー3社目には無事転職できたのですか?

その後、通信系のベンチャーにディレクター兼デザイナーとして入社。HPの更新や営業資料の作成、展示会のPOP作成など、デザインが関わることは全部自分の担当でしたね。

当時、業務的には余裕があったので、デザインの他に会社に来る営業の対応もやっていました。そのころはSEOがブームで、そういう営業が多かったんです。SEOは様々な手法があると思いますが、その一つがLP作りでした。僕は営業に来てくれた人に「ボク、LP作れますよ」って逆営業をしていたら定期的に仕事がもらるようになって。

その後、フリーランスとして活動していくのですが、この経験がきっかけだったかもしれませんね。そんな折に、会社の事業を通じて知り合った方から「フリーの仕事をしながらでも働ける会社があるよ」と紹介を受けて次の会社にいくことになりました。

ーーそういうきっかけで転職されたのですね!4社目はどんな会社なのですか?

ロボットという会社です。この会社では、通信キャリアの映像コンテンツ制作の仕事に携わらせていただき、公式Webの運営ディレクションとデザインなどをやっていました。

ロボットではフリーの仕事をしてもOKな契約だったので、会社の仕事と個人の仕事を抱えて、当時はかなり忙しくさせてもらってましたね……。ご迷惑も沢山おかけしたと思います……。ただ、忙しくしながらも精力的に活動していたので色々な人達に出会い、それまでよりも人間的な成長があったように思います。

今でも仲良くさせていただいているデザイナーの先輩のテラダヒデジさん(HP:http://teradahideji.com/)やnostos booksという古本屋さんを経営されている中野さんという方に出会って、この2人からいろんな方を紹介してもらいました。中野さんのnostos booksのお店づくりや経営についての記録を綴った奮闘記(https://nostos.jp/archives/category/b_staff/b_nostos/b_records/)は、業界は違えど参考になる内容です。

お二人のおかげで仕事に対する考え方や幅が広がったりました。今でも一緒にお酒を飲みながら色んな話をさせてもらっていて、仕事をする上で糧になっている部分も少なくないです。

ーーまだDeNAには入社されないのですね(笑)

この次にDeNAに入社します(笑)。

■そしてDeNAへ



ーーいままでデザイン会社ばかりなのに、どうしてDeNAのような事業会社を選んだのですか?

事業会社や制作会社ってくくりにはこだわってなかったです。

まず、フリーから会社員になろうと思ったのは、ちゃんとした社会人になりたかったからなんです(笑)。今までは、仕事はしてるものの、組織だったり上司部下といった関係もほとんどない、自由な環境でしたから。

「そういう環境、絶対いいじゃないですか!」ってみんな思うかもしれないけど、当時の自分からしたら、「このままじゃダメな大人になりそう」と。なんとなくなのですが、社会の一員として生きてる感じがしなかったんですね。

そう思っていたとき、人材関係の会社に勤めてた知り合いに相談したら、「就職説明会みたいなイベントをやるから来てみたら?」って誘ってもらって。そこで出会ったのがDeNAでした。

DeNAに決めた理由は、選考が1番早かったことと、当時ヒカリエにできたばかりオフィスがキレイだったことに惹かれました(笑)。

ーー今までと違う環境での仕事はいかがでしたか?

新鮮でしたね。「これが会社員か」って思ってました。ただ、面喰らうことはなかったです。今までの仕事でも、クライアントに信頼されないと仕事ができないので、最低限のビジネススキルやマナーは身についていたのかもしれません。

当時は2~3年ぐらい会社員を経験して組織のイロハを経験したら、その後はまたフリーに戻ろうかなって考えてたんです。それが6年(2018年6月現在)もいるなんて想像もしていませんでした。

ーー具体的にどんな仕事をしていたのですか?

ゲーム開発のクリエイティブ領域のディレクターとして入社しました。当時の僕はゲームをまったくやってなかったですし、小さい頃もそこまでゲームをやってきていないので、「ゲームの面白さ」を理解して表現することは苦労しましたね。

主にIPタイトルに関わることが多く、その中で、UIデザイン設計やゲーム内で使用するデザインアセット制作のディレクションなどをしていました。

■「つくる」から「つなぐ」へ



ーーその後、DeNA Games Tokyo(以下DGT)に参画された経緯は?

ある日突然、当時の上司だった上田龍門さん(DeNA)に会議室に呼ばれて「子会社を立ち上げるから手伝って」と言われたのが始まり。僕はその時、大型IPのアプリゲームの立ち上げに携わっていたので「忙しいので無理です」と断ったのですが、龍門さんの巻き込み力は異常に強いので、いつのまにか手伝うことになってました(笑)。

ーーまずはどんなことに注力されたのですか?

採用ですね。とにかく人を集めなければならなかったので、かなりの方の面接をしてました。その後、人員も増えてきてデザイン部を作って部長に就任し、それにともない、本格的にマネジメントのキャリアを積み始めました。

ーーマネジメントは初挑戦ですよね。不安はなかったですか?

あまりなかったですね。なるようになるでしょ、って感覚でした(笑)

ーーマメジメントをする上で大切にされていることはありますか?

強いていうなら「自分のモノサシではからないようにする」、は心がけています。自分の経験は自分のものでしかないので、自分以外の人の感覚や想いを尊重しようと思っています。

当時、DGTの社長だった田川啓介さん(現DeNA)には、マネジメントする上での考え方やコミュニケーションの取り方などを教えてもらい、マネージャーとしてのレベルを引き上げてもらいました。

今でもDGT立ち上げ当時に学んだことは仕事をする上で活きていますね。とても良い経験だったと思います。

■「モノづくり」から「会社づくり」へ



ーー2018年1月からはDGTの取締役に就任しましたが、経営者になりたいという気持ちは昔からあったのでしょうか。

全然なかったです(笑)。経営に興味が湧いたきっかけも田川さんですね。

DGTで一緒に仕事をさせてもらってるときに田川さんが会社や組織のビジョンや今後のゲームビジネスの展望をいつも話してくれる環境だったのですが、その話の中で「楠はどうなりたいの?」と急に聞かれて。「なにも考えていない」と答えたら、「それではダメだよ……」と(笑)。

この時点で、クリエイターとしてもマネージャーとしても色々な環境で色々な経験を積ませていただいた実感はあったのですが、確かにこの先、何か新しくできることがあるかというと、思い付かなかったんです。

そう考えてるときに田川さんが、「クリエイティブ出身の経営者ってほとんどいないかもね」って言ってくれて。「確かに!」と。この一言が経営に興味を持ったきっかけでした。

■クリエイターとしての自己分析



ーークリエイターとしての楠さん自身の強みはどんな点だと思われますか?

コミュニケーションを大切にしている点でしょうか。プロジェクトを進めるときは必ずチームビルディングから始めますし、人間的な相性なんかも結構気を使いますね。職種でいうとクリエイティブディレクターが一番近いかと思いますが、もはや職種を聞かれても明確な回答ができないですね(笑)。

僕自身はいわゆる職人気質ではないので、そういう方々と組む仕事が多いですね。集中してクオリティを上げてもらえるように明確な方針を示したり、要件を整理したり。環境を整えながら推進していく役割ですね。

ーークリエイティブディレクターを目指したきっかけはなんだったのでしょうか?

特に目指したわけではないのですが……。先ほどお話したENTACL GRAPHICXXXという会社で働いていたときに印象深い出来事があります。この出来事が今後の自分のキャリアを大きく変えていきました。

当時、デザイナー志望だった僕は幸いにもグラフィックデザイナーという肩書をもらって働いていたのですが、社長が同期と僕を比較して、「楠のデザインは毎回安定して90点。同期はムラがあるけどたまに120点を出す」って言われて。

120点のクリティカルヒットを出せないとデザイナーとは言えないなって思って、すごくショックでした。負けたって思いましたね。
その後、社長から「ディレクションをやってみないか?」って言われたのが今の道を歩む転機でした。それ以降、キャリアはディレクションの方へグッと舵を切ったんですけど、社長にこのエピソードを話しても「覚えてない」って言うんですけどね(笑)。

ーー舵をきったときの考え方として、「向いていないからやめよう」と「より能力を活かせることをしよう」、どちらなのですか?

ディレクションをやっているときの方が褒められてたんです。当時は「褒められてるから、ディレクターの方がいいんだろうな」くらいの感覚でした(笑)。

ーー褒められるかどうかが判断軸だったのでしょうか?

極論ですが、僕には確固たる軸みたいなものがないんです。だからデザイナーからディレクターにもすぐに切り替えられるし、その後、マネジメントもするし、経営者にもなるし。

DGTの代表取締役社長の井口にも「よくクリエイターのキャリアを捨てて経営者になれるね」って言われたことがあるのですが、何の問題もないんです。「明日からエンジニアになって」って言われてもやるんだと思います。ただ、エンジニアの素養がなさすぎるので、ミスアサインだと思いますが(笑)。

何かをやれって言われるのは嫌いじゃないですし、巻き込まれるのも好きなんです。多分、そういう性分なんでしょう。「声をかけてくれてありがとうございます」って思います。

人間誰しもある程度は承認欲求があると思いますし、褒められれば喜ぶものだと思います。僕も褒められれば嬉しいですし、こういった感情はシンプルに捉えて行動に繋げるようにしています。

■歩みのその先へ



ーーこのインタビューを通して、クリエイターの方たちにどんなことを伝えたいですか?

これまでのキャリアの話をさせていただきましたが、中には良い時期もあればそうでない時期もありました。クリエイターの方であれば、部分的にしろ、僕のキャリアの何かが重なると思うんです。

クリエイターの皆様に、僕のようなキャリアも選択できるってことを知ってもらいたいという思いもあり、取締役の就任を決意しました。20代の頃は経営者なんて想像したことすらなかったです。だからこそ、日々のクリエイティブの業務を積み重ねた先には、経営者の道もあるって表現したかったんです。

僕は会社もサービスやプロダクトの一つだと考えていて、これまでの経験で培ったクリエイティブのスキルは、経営にも生きると思ってます。前回、執筆させていただいた「情報の分解/整理/再構築」の記事(https://www.gamebusiness.jp/article/2018/03/12/14238.html)で書いたことは、デザインの現場だけでなく、経営にも当てはまると思っています。


経営課題を解決しようとしたとき、まず課題を分解し要素に分けて整理し、再構築。そして課題の解決につなげていくプロセスは、デザインでも同じです。いわゆる現場で培った思考は、経営でも十分に活かせています。

ーー最後にクリエイターのみなさまにメッセージを

とにかくいろいろやってみることだと思います。ほとんどのことは失敗しても死にはしないので(笑)。

最終的にはなるようになると思うので考え過ぎず、やってみたいと思ったことやお願いされたことはやってみると良いと思います。

ーーありがとうございました!

■プロフィール
楠 薫太郎 株式会社 DeNA Games Tokyo 取締役
紙媒体のデザイナーからキャリアをスタート。ディレクター/デザイナーとして、Webやアパレル、音楽、映像コンテンツなどさまざまなプロジェクトに参画し、フリーランスを経て、2012年、DeNA入社。複数のIP系ゲームのクリエイティブディレクションを担当し、その後、DeNA Games Tokyo(http://denagames-tokyo.jp/)の創業に参画。デザイン部 部長を経て、2018年1月、取締役に就任。
《楠薫太郎》

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