【GDC2011】伝説の開発者が語る『ピットフォール!』誕生秘話 | GameBusiness.jp

【GDC2011】伝説の開発者が語る『ピットフォール!』誕生秘話

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「落とし穴!」(ピットフォール!)。もうね、このタイトルで勝ったも同然だと思うんですよ。個人的には、ですけど。
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『スーパーマリオブラザーズ』が発売される3年前の1982年。ジャングルを画面の右に向かって走りながら、障害物をジャンプしたり、地下の洞窟を進んで、財宝を集めていくゲームが大ヒットしていました。アタリ2600で発売され、『パックマン』に続く第2位の売上げ(400万本)を記録した『ピットフォール!』です。

GDCで3月4日に行われた講演「Classic Games Postmortem Pitfall!」では同作の開発者で、業界の生きる伝説の一人、デイビット・クラン氏が登壇し、開発秘話を披露しました。

400万本を記録した大ヒット作『ピットフォール!』本作を一人で作り上げたデビッド・クラン氏


ゲーム業界のキャリアを業界のガリバー、アタリでプログラマーとしてスタートさせたクラン氏。しかし創立者のノラン・ブッシュネル氏がアタリを去り、ディベロッパーの待遇は急速に悪化。経営陣と対立したクラン氏もまたアタリを去り、史上初のサードパーティ・アクティビジョンを仲間と共に立ち上げます。

当時はライセンシー契約などはなく、誰でも望めば自由にアタリ2600のゲームソフトを作ることができたのは周知の通り。クラン氏はそれまで戦車や飛行機などのキャラクターばかりだったアタリ2600で、「走る男」というコンセプトのゲームを思いつきました。なぜか?「キャラクターにアニメーションをさせたかった」んだとか。

クラン氏は方眼紙にゲームのメイン画面をスケッチしながら、企画を固めていきました。なぜ走るのか? もちろん財宝を求めて、または何かから逃げるために。どこを走るのか? 背後に木を並べると、ジャングルっぽいぞ。下は黒くして地下トンネルを造り、財宝を置こう。道に穴ぼこを作ったり、池を作ってワニを住まわそう。ターザンのようにツルにぶらさがって飛び越えるようにしよう。

画面に走る男性を配置し、木や池や洞窟を配置し、ワニとサソリと財宝を配置。これが本作の企画書となった


おお、なんだかゲームっぽくなってきた。クラン氏は10分もかからずに、このアイディアスケッチを完成させたと語りました。『ピットフォール!』の企画書の完成です。世界観やキャラクターなどの設定テキストはまったくなし。にもかかわらず、これを見るだけでどんなゲーム体験ができるか一目瞭然。企画書におけるメインのゲーム画面の重要性がよくわかります。

もっとも、どんなアイディアもゲーム機で動かすことが出来なければ、絵に描いた餅です。実際ターゲットマシンであるアタリ2600には、メインメモリが128バイト、プログラムカセットの容量も4キロバイトしかありませんでした。すべての処理をCPUが行う必要上、ゲームの実行処理にさけるリソースも全体の25%程度しかなかったのです。

そのため『ピットフォール!』の開発には、あの手、この手で必要なメモリを減らし、クロック周波数の処理タイミングを最大限に生かしてた、できる限りの高速化が行われました。それでも、こだわったのが主人公ハリーのグラフィックです。1キャラ=1色が当たり前だった時代に、頭部・体・足で3色を割り当てました。1キャラ3色! なんて贅沢な色の使い方なんでしょうか。いいんです、これは「走る男」のゲームなんですから。

それもこれも、クラン氏がゲームデザイナー兼プログラマー兼サウンドエンジニア兼・・・つまり一人でゲームを作り上げたということですが・・・だったから。当時はそれが当たり前の作り方でしたが、それだけに個人の技量が大きくモノを言う時代でした。プログラム時間は1000時間。グラフィックツールは方眼紙で、エミュレーターもデバッグツールも自作しました。ハードとソフトの両方の視点から最適なモノを作り上げたデビッド氏は、当時としても珍しい才能の持ち主だったのでしょう。

さまざまな関連商品も発売された。ファンの手による、さまざまな関連グッズ
ピットフォール関連の貴重な広告類クラン氏の名前と社名が入るテレビコマーシャル


『ピットフォール!』の評判は発売後うなぎのぼりとなり、26週間にわたってセールスランキングのトップを独占。書籍やパズル、ボードゲームまで作られました。その後も他機種版や続編が作り続けられ、2008年には最新版『Pitfall: The Lost Expedition』が発売されています。クラン氏も現在に至るまで約80種類のタイトル開発に関わり、「AIAS Pioneer Award」「Developer's Choice First Penguin」「Designer of the Year」など、さまざまな賞を受賞。現在もMTV Gamesでゲーム開発に関わり続けているとのことです。

最後にクラン氏は当時のテレビコマーシャルも紹介しましたが、ラストで「ピットフォール! デザインドバイ、デビット・クラン、アクティビジョン」と名前付&社名付きでナレーションが入っていたのには驚かされました(http://fuzzymemories.tv/#videoclip-2582)。テレビゲームの宣伝で開発者の名前が読み上げられるなど、当時も今も珍しいことだからです。

社内で反対意見はなかったのか質問したところ、「なかった。なぜなら、自分が創立者だったから!」と、ある意味で当たり前の回答が返ってきました。クラン氏は本と同じように、ゲームもタイトルと作者がセットで紹介されて当然だと続けましたが、高度に大作化した現在のテレビゲームは、作家性という点では退化してしまったのかもしれません。

実はもう一つ、ヒットを支えた要因がありました・・・タイトルです。実は当初、本作は『ジャングルランナー』と呼ばれており、直前までこの名称で出荷されるはずでした。ところが、あるマーケティングスタッフが反対し、みんなで知恵を絞ったのだそうです。その結果、飛び出したのが『ピットフォール!』でした。マーケティングスタッフに拍手したいと思うのは筆者だけでしょうか?

ちなみに主人公ハリーの名前の由来はと聞いたところ・・・。「良い質問だ。『ピットフォール!ハリー』・・・正直なところ、語感が良かったからだ」なんだそうです。深くうなずいた次第でした。

講義終了後もクラン氏は大勢のファンに囲まれ、筆者をはじめとした、さまざまな質問に丁寧に答えていた
《古畑憲和》

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