ゲーム」を超えたローカライズ・・・イバイ・アメストイ「ゲームウォーズ 海外VS日本」第8回 | GameBusiness.jp

ゲーム」を超えたローカライズ・・・イバイ・アメストイ「ゲームウォーズ 海外VS日本」第8回

ゲームとその関連業界に関するジャーナリズムは、他業界の報道関連の人から見下されている感がある。あるテーマに対する調査などの適切さ、その調査のやり方の適切さ、主観性と客観性のバランスが取られているかどうかなど。この業界はこの点に関して結構評判が悪いが、

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ゲームとその関連業界に関するジャーナリズムは、他業界の報道関連の人から見下されている感がある。あるテーマに対する調査などの適切さ、その調査のやり方の適切さ、主観性と客観性のバランスが取られているかどうかなど。この業界はこの点に関して結構評判が悪いが、そのイメージは必ずしも正しいとは言えない。

これは才能、情熱、またはコンテンツに対する理解不足によるものではない。逆にこれらのカテゴリーはゲーム・メディアの一番得意なところだと思われる。

原因は他にある。現実的に言えばゲーム業界関連情報などを紹介する際の「基準」というのは、昔から売り上げのみに重点をおかれている。どう見てもこのシステムはおかしい。現代のゲーム業界関連記者などはこの基準を見て育った。このシステムの目的(特定のユーザーベース、しかも年齢の低いユーザーだけにアピールする)というのは、探求的な目的よりも、金銭的な目的に思える。簡単に言えば、ゲーム関連報道の第一目標は昔から「知らせる」ことではなく、「買わせる」ことだ。

でもこの業界は成長した。そして今でも成長し続けている、しかもかなりのペースで。誰もかれもが、あまりにも高すぎる希望を持ってしまったせいで、ゲーム業界は全体的に浮き足立っているように感じられる。

この称賛すべき成長は刺激的なものだが、技術が発展していても、報道者の報道対象に対する考え方は20年前から未だに変わってない。業界に関連する情報を面白く伝えるツールは、この15年間で1000代も先に進化してきている。しかし、われわれはそのツールを「使用」しつつも、ちゃんと「利用」出来ていない。

これがなぜ問題なのかというと、理由はいくつかある。だが私が気にかけているのは、今のゲーマー層は10年前とはかなり異なる。ゲームが好きな人、そしてそれよりももっと大事な「ゲームを好きになりそうな人」は以前より年をとって、経験も多くて、より多様性のある層になっている。こういった客層のために、ゲームをどうやって作るかということでいつも争っているが、一つ大事なことを忘れているのではないか?:ゲームを作ったとしても、それを世間にどうやって伝えるかということは、未だに理解されていない。

その結果、多くのゲーム業界関連記者は、プレビュー、レビュー、またはニュースと同様に、ゲームとゲームクリエーターに関する情報を、異様なスピードで出している。ゲーム・メディアの消費者は情報に対してはかなり貧欲で、情報の広がるスピードは他業界には負けない。ただし、一人一人が先着者になろうと必死になるという癖と、ゲーム業界の商品に対する秘密主義なところがぶつかり合うと、必ずトラブルが起きる。

10年前とユーザー層は大きく分かっている。ゲームの伝え方もそれに合わせて変わっていくべきではないか。また、伝え方が変わるという点では、PRのローカライズという問題もある。

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英語を母国語としないゲーム業界関係者を対象にした英語でのインタビューは、スムーズにいかない(本当の意味とちょっと違うように読み取られてしまうという意味で)ことが多い。ゲーム関連メディアに上手くまとめられた良いインタビューは、オンラインにも活字メディアにも、あちらこちらにあるが、残念ながらそういうインタビューを読むと、英語ネイティブでない人は英語ネイティブほど雄弁というか、賢い感じはしない。

しかし、これは急かした翻訳作業が要因ではないし−勿論関係なくはないが−、インタビュー担当の者の課題に関する理解不足のせいでもない−これもたまに関係するが。

何が違うかというと、読者の期待するものだ。言語関係とはまた別の「文化の違い」によって、読者にとっての情報やメッセージなどの「正しい伝え方」も異なってしまう。インタビューを受ける人は、質問されると自分にとっての一番自然な方法で答えるしかない。しかし、異文化の人に何かを伝えようとすると、適切な伝え方で伝えるのが難しい。最終的には元々は素晴らしいメッセージだったのが、感じの悪いコメントに聞こえることもある。

異文化間のPRやマーケティングなどのメッセージの場合も同様である。と言っても、PRやマーケティングなどを担当している者に問題があるという訳ではない。逆にたいていは自社の商品―我々の場合はゲームになる―に対して一生懸命その良さを伝えようとする。ただし、その人が元々伝えたいと思っていたことが、異文化の人が期待するようなメッセージとは外れてしまっている。最終的に伝わってしまうメッセージはその商品(ゲーム)の、ある一面を上手く表していても、その商品の対象となる消費者にとっての、一番面白いところを表せていなくなることが多い。

品質の高い日本製のゲームが、海外マーケットで失敗するのは嘆かわしいことである。これはもう少し努力の方向性が変われば成功すると思うと、勿体なく感じるからである。ゲームが海外マーケットで失敗すると、コンテンツやアート的な面が、そのマーケットのプレーヤーに合わなかったとか、不適切であった、といった理由で決め付けられることが多い。だが、それは納得できる理由ではない。というのも、最近流行している小中スケールのゲームは、たいてい昔日本で作り出されたゲームを起源としているのである。この件に関しては、次回の記事にて触れたいと思う。

最大の問題は、商品自体ではなく、そのメッセージの伝え方にあると思われる。ローカライズの専門家である私は、この問題についてしばしば考えさせられる。ローカライゼーションというのは芸術でありながら、サービスでもある。芸術の側面はライティングにあり、サービスの側面はというと、もっと幅広いユーザーベースに遊んでもらえるように配信することだ。我々ローカライザーの仕事の核が、より幅広いユーザーベースに配信することであるならば、業界としてローカライゼーションをどこまで活かせるのかを、もっと深く考えた方が賢明ではないかと思う。ローカライゼーションは、ゲームを「変える」ためのものではなく、より幅広いオーディエンスに対して、ゲームクリエーターが当初狙っていたことを忠実に伝え、楽しんでもらうためのものである。

我々は、消費者がこれだけ商品情報に対して貧欲で、しかもメディアがその情報を最新技術で世界中に配信しようとするような業界で働く事が出来、本当に恵まれていると思う。私はこの状況に対して、可能な限りの最善を尽くしたいと思う。
《イバイ・アメストイ》

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