ファミコンやゲームボーイの実機が奏でるチップチューンとバンドサウンド。その2つを一つにしてきたロックバンド、Anamanaguchi。

ニューヨーク郊外で育ったPeter Berkmanを中心に2004年に結成し、2006年にネットレーベル8bitpeoplesからEP『Power Supply』をリリース。以降、『Scott Pilgrim vs. the World: The Game』やNetflixのアニメ『スコット・ピルグリム テイクス・オフ』の音楽を手がけ、初音ミクとのコラボレーションも実現してきた。
そんな彼らがバンドとしてフルメンバーで日本のステージに立つのは、2011年の「Blip Festival Tokyo」以来。10月13日(火)、渋谷duo MUSIC EXCHANGEで待望の来日公演を行う。

Peter自身が「これが初めての日本のインタビューかもしれない」と語る今回の取材では、バンドの始まりから現在まで、チップチューンとロックをどう結びつけてきたのかをじっくりと聞いた。
さらに、椎名林檎やコーネリアス、Hi-STANDARD、ウサギチャンレコーズといった日本の音楽、そしてカプコンや任天堂作品をはじめとする日本のゲームへの深いリスペクトをPeterがたっぷりと語ってくれた。
話題は、近年アメリカのアンダーグラウンドシーンで盛り上がるcybergrindや5th wave emoのシーン、そして自由意志とテクノロジーをテーマにした新曲「Yeah I Guess」にまで及んだ。ビデオゲームとロック/パンクの歴史を貫く、濃密なインタビューをお届けする。
Anamanaguchi来日公演チケット
チップチューンバンド、Anamanaguchiはいかにして生まれたか
――Anamanaguchiを初めて知る読者や、今回の来日公演で初めて観る読者に向けて、サウンドの特徴やメンバーについて教えてください。
Peterやあ!日本の読者に向けて話せる機会をありがとう……。思えば、これが初めての日本のインタビューかもしれない!僕はPeter Berkman。Anamanaguchiでギターと音楽のプログラミングを担当していて、(20年経った今は)歌も歌っている。

Anamanaguchiを始めたのは2004年、ニューヨーク郊外で育った頃だ。メンバーは4人で、Ary Warnaar(ギター/プログラミング/ボーカル)、Luke Silas(ドラム/プログラミング/ボーカル)、James DeVito(ベース/照明/ボーカル)。
デジタルな音作りとロックの生演奏を混ぜ合わせた、楽しくてメロディアス、時にはメランコリックな音楽を作るのが好きなんだ。

――4人はそもそもどうやって出会い、チップチューンを軸にバンドを組むことになったのですか?
Peter僕とJamesは、ニューヨークから45分ほどの小さな町、チャパクアで育った。AryとLukeは、アメリカの反対側、ロサンゼルスの出身。Aryは音楽テクノロジーを学ぶためにニューヨークに来て、そこで出会った。Lukeとは、なんとマイスペース【※】で知り合ったんだ。「a place for friends(友達のための場所)」という謳い文句そのままにね。
※マイスペース(MySpace) 2003年にサービスが開始した音楽/エンターテイメントに特化したソーシャル・ネットワーキング・サービス。
チップチューンとの出会いは衝撃的だった。高校時代のバンドでは、練習の合間に『ロックマン2』や『魂斗羅』で遊んでいたよ。ある日、友人のKurt Feldman【※】が作ったチップチューンの曲が送られてきた。それで頭の中に、いろんな可能性が一気に広がったんだ。子供の頃から自分のメロディーの感性に大きな影響を与えてきたゲームのシンセサイザーの音が、ただ受け取るだけのものじゃなく、自分でいじれるものになった瞬間だった。
※Kurt Feldman The Ice Choir、Pains of Being Pure at Heartのメンバーとして知られる人物。ゲーム『Gunsport』『Hyper Gunsport』のコンポーザーも務める。なお、Pains of Being Pure at Heartは2024年の再結成後初となる来日公演を11月13日に渋谷WWW Xで行う予定で、Anamanaguchiと同じく渋谷での公演となる。
長くなって悪いけど、そこから僕らはあっという間に、Nerdtracker 2【※】で一日に何曲もプログラムしては、お互いに送り合うようになった。すぐに、あらゆるものにハーモナイズしたギターを乗せるというアイデアに夢中になったよ。歪んだギターが矩形波のトーンと混ざり合うという発想、その音同士が絡み合うさまざまな形が大好きだった。
※Nerdtracker 2 NES(海外版ファミコン)の音源チップ(2A03)の音を再現して曲を作れる、フリーの作曲ソフト。数値や文字を縦に並べて音符を入力する「トラッカー」形式。

当時ニューヨークには、とても活発なチップチューンのライブシーンがあって、できる限り電車に乗って街まで通っていた。そうしているうちに、ネットレーベルの8bitpeoples【※】から、2006年8月に『Power Supply』EPをリリースすることになったんだ。
※8bitpeoples 1999年にNullsleep(Jeremiah Johnson)とTangible(Mike Hanlon)がニューヨークで立ち上げたアーティスト・コレクティブ/ネットレーベル。ファミコンやゲームボーイなど往年のゲーム機のサウンドチップを使ったビットポップ/チップチューンを無料配信し、2000年代のシーン形成を牽引。Bit Shifter、minusbaby、Trash80といったアーティストが名を連ねる。
――ラップトップやシンセだけでなく、NESやゲームボーイの実機を従来のロックバンド編成に組み込もうと思ったきっかけは何ですか?
Peter2004年当時は、シンセの要素を取り入れたかっこいいインディーバンドがたくさんいた。The Unicorns【※】やRATATAT【※】なんかが思い浮かぶね。もちろん、シンセが前面に出たロックソングを収録したWeezer【※】のB面も大好きだった。NESとゲームボーイは僕らがプログラムした曲をライブで演奏するための、単純に一番実用的な手段だったんだ。
※The Unicorns 2000年に結成されたカナダ・モントリオールのインディーロックバンド。Nick Diamonds(Nicholas Thorburn)とAlden Ginger(Alden Penner)を中心に、ローファイでどこか抜けた遊び心のあるサウンドを持ち味とした。2004年末に解散。
※RATATAT ニューヨーク・ブルックリン拠点の2人組エレクトロニック・ロックデュオ。ギターのMike Stroudと、プロデューサーのEvan Mastによるユニット。2010年リリースのアルバム『LP4』に収録された「Neckbrace」はオープンワールドのクライムアクション『Saints Row: The Third』に使用されている。
※Weezer 1992年にロサンゼルスで結成された、リヴァース・クオモ率いるアメリカのロックバンド。オルタナティブロックやパワーポップを基調に、1994年のデビュー作『Weezer(ブルー・アルバム)』で一躍人気を獲得した。1996年の2作目『Pinkerton』は、発表当時は商業的に振るわなかったものの、内省的で赤裸々な歌詞と歪んだギターサウンドが後に再評価され、90年代のミッドウェスト・エモに大きな影響を与えた作品として知られる。
世界中のチップミュージックコミュニティからも、たくさんの支えがあった。みんな同じようにやっていたからね。Nullsleep、Bit Shifter、Goto80、Hally【※】そういう人たちがいた。ゲーム機がステージに一緒にあって、コントローラーのボタンを押すとパーティーソングが鳴る、あの感覚はすごくワクワクしたよ。
※Hally 田中“hally”治久。ゲーム史/ゲーム音楽史研究家で、自身もチップチューンを専門とするコンポーザーとして楽曲提供やライブ活動を行っている。著書に『チップチューンのすべて』、『ゲーム音楽ディスクガイド』などがある。
キーボードもワクワクするものだけど、演奏しなきゃいけない……。その結果はまちまちになる。僕らの頭の中は手よりも創造的だから(笑)、プログラミングや細かいデジタルの仕掛けの方に惹かれるんだ。すべてが正確で離散的なデジタルのタイミングで起きる、というのが僕らは好きなんだよ。
それがあるからこそ、バンドの方は雑でいられる!このタイミングとこの深さのビブラートを、この長さだけかける——この速さでこのピッチベンドをかける——そういう細かい装飾にこそ、プログラムの中を人間らしさが突き抜ける瞬間があって、それが再生ボタンひとつでちゃんと保存されているんだ。

ゼルダの伝説、コーネリアス、Hi-STANDARD、YMCK——日本の音楽との出会い
――Anamanaguchiのサウンドはよく日本のポップカルチャーやゲームと結び付けて語られますが、幼少期から日本の音楽やゲームとどんな関わりがありましたか?
Peter子供の頃、ゲームは僕にとって日本を知るための一番大きな窓だった。親父は冗談で「お前は『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』で字を覚えた」なんて言っていたよ。
振り返ってみると、カプコン作品——『ロックマン』『バイオハザード』『ストリートファイターII』——からの影響はかなり大きかった。最初に使っていたハンドルネーム(Anamanaguchi以前の、もともとはAOLのスクリーンネームだったもの)はRedfield424だった。『パラッパラッパー』、『ファイナルファンタジーUSA ミスティッククエスト』(主に音楽が好きだった)、『レガイア伝説』も大好きだったな。
子供の頃はビデオゲームをごく自然に存在するものとして受け止めていて、それが人の手で作られたもの、ましてや特定の誰かが作ったものだなんて考えたこともなかった。
Anamanaguchiを始めた頃には、日本のゲームへの関心が再び高まる、いわば第二の波があった。高校のコンピュータールームでは当時流行り始めていたエミュレーターでゲームばかりやって時間を潰していたよ。たぶん、NESのゲームはほぼ全部プレイしたと思う(笑)。
あの時期を特徴づけていたのは、音と映像の世界がワクワクするようなゲームたちでもあった。『塊魂』『ビブリボン』『悪魔城ドラキュラ』『メタルギア』『逆転裁判』とかね。子供の頃、日本のポップカルチャーに触れる機会はそれほど多くなかった。アニメを見て育ったわけでもない。でも、いくつかの小さな出会いがすごく大きな影響を残している。
2004年に、兄が映画『CASSHERN』を見せてくれたんだけど、そのサウンドトラックを通じて椎名林檎を知った。あれは本当に大きかったな。彼女の作品は全部チェックしたし、特に東京事変が大好きだった。
同じ頃、初めてコーネリアス【※】の音楽を聴いて、ある種の執着のようなものが生まれてフリッパーズ・ギターまで掘り下げていった。彼のルーツにあるUKサウンドはもともと馴染みがあったけど、コーネリアスはそこにもっと多くのものを持ち込んでくれた。
※コーネリアス 小山田圭吾のソロプロジェクトで、渋谷系を代表するミュージシャンの一人。『スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団』(2010年)では、劇中バンド「カタヤナギ・ツインズ」と「セックス・ボムオム」のアンプバトルの楽曲「Katayanagi Twins vs. Sex Bob-Omb」をBeckと共同制作しており、同作のサウンドトラックに参加している。
それから、パンクミュージックにもっと興味深いメロディーやハーモニーの領域を持ち込んだバンドとして、Hi-STANDARDやHAWAIIAN6【※】のことも思い浮かぶ。少しずつ、自分が日本から来るたくさんのアートに、本当に強い親近感を持っていることに気づいていったんだ。
※Hi-STANDARD/HAWAIIAN6 ともに、日本のメロディックハードコア(メロコア)を代表するバンド。メロコアは、ハードコアパンクの疾走感にキャッチーなメロディを組み合わせた音楽性を指す。Hi-STANDARDは1991年結成、1997年から自主フェス「AIR JAM」を主催し、日本のパンクシーンを牽引した。HAWAIIAN6は1997年にHi-STANDARDのコピーバンドとして結成された。
あと、ウサギチャン(USAGI-CHANG)【※】のコンピレーションを見つけたときにも、大きな興奮の波が来たんだ。Macdonald Duck Eclair【※】は、初期のAnamanaguchiの音楽にものすごく大きな影響を与えている。そしてもちろんYMCK【※】もね。ピザの配達をしていた頃、これらをずっとiPodで聴いていた——めちゃくちゃスピードを出して運転しながらね。
※ウサギチャンレコーズ(USAGI-CHANG RECORDS) 2000年代前半に活動した日本のインディーレーベル。創設者は鈴木晃(AKI)。90年代の「渋谷系」の影響を受けた世代の音楽は「ネオ渋谷系」とも呼ばれ、ピコピコとしたレトロフューチャーな電子音が前面に出た「ピコポップ」は、その流れの一つにあたる。その流れを担ったレーベルとして知られ、2002年のコンピレーション『ウサギチャンスーパースター!!』は、のちのネオ渋谷系/フューチャーポップシーンの先駆けとされる。
※Macdonald Duck Eclair 1998年に東京で結成されたピコポップバンド。ネオ渋谷系/フューチャーポップと呼ばれるシーンで活動した。ささやくようなボーカルとフレンチポップ的な甘さに、ノイジーなパンクギター、ピコピコとしたデジタルサウンドが同居する作風。ウサギチャンレコーズからアルバム『Short Short』(2004年)、『The Genesis Songbook』(2005年)などをリリース。
※YMCK 除村武志、栗原みどり、中村智之の3人からなる、日本の8bitミュージック・ユニット。ファミコンの音源にスウィング・ジャズやボサノバ的なボーカルを組み合わせた、ネオ渋谷系の文脈でも語られるチップチューンを演奏する。ドット絵アニメで表現されるメンバーの姿も特徴。ウサギチャンレコーズから注目を集め、2008年にavexからメジャーデビュー。
アメリカには、やたらとマッチョで虚勢を張ったような、どこか泥臭くてザラついた空気がすべてに染み込んでいて、僕はそれにどうしても共感できなかった。自分の感性は、ああいう自信満々な感じとは少し相性が悪いんだと思う。1990年代、ニューヨーク郊外で育った僕にとっては、もっと繊細で控えめな世界観やキャラクター、音、映像を提示してくれるメディアと触れ合うことが、無意識のうちに一種の息抜きになっていたんじゃないかな。
――チップチューン以外の部分、つまりバンドとしてのサウンドは、どのような音楽やバンドから影響を受けていますか?
Peterたぶん、僕ら全員の親が、車の中でビートルズをかけて育ててくれたんだと思う。Aryの両親はジャコ・パストリアス【※】と親交があったし、Lukeのお母さんは作曲家、Jamesのお父さんは70年代にレコード会社でA&R【※】をやっていた。みんな、音楽に囲まれて育ったんだ。
※ジャコ・パストリアス アメリカのジャズ/フュージョンベーシストで、フレットレス・ベースを駆使した革新的な奏法で知られる。フュージョンバンドのウェザー・リポート(Weather Report)のメンバーとして、また数々のソロ作品やセッションワークを通じて、後のベーシストたちに絶大な影響を与えた。
※A&R アーティスト・アンド・レパートリー(Artists and Repertoire)の略。レコード会社で、新しいアーティストの発掘や契約、育成、そして楽曲やレコーディングの方向性を決める制作面の統括を担う職種。
Anamanaguchi以前は、それぞれがまったく違うスタイルのロックバンドをやっていた。僕の高校時代のバンドDefective Electricは、At the Drive-In、Cursive、Sunny Day Real Estateみたいなサウンドを目指していた(後になって、自分たちの“ジャジー”な響きが、僕が大好きな日本のバンドCymbalsとすごく近いことに気づいたよ)。
Jamesのバンド、Stab the Matadorはギャング・オブ・フォーやザ・ラプチャーみたいなダンスパンクだった。Aryが所属していたIn Case of Fireは、完全にLAシーンの一部という感じのバンド。そしてLukeがやっていたNephewsは、Austin TVやモグワイみたいなポストロックから影響を受けたバンドだった。

初音ミク、スコット・ピルグリムとの仕事を経て、バンド自身に向き合う
――日本でのライブは12年ぶりとのことですが、あのときのツアーで一番鮮明に覚えていることは何ですか?
Peterバンドとしてフルメンバーで日本で演奏したのは、2011年に高円寺HIGHで開催されたチップミュージックの祭典「Blip Festival Tokyo(通称:Blip Tokyo)」【※】での一回きりなんだ。
※Blip Festival Tokyo(Blip Tokyo) ニューヨーク発祥のチップミュージックの祭典「Blip Festival」の東京版として、2010年から2012年にかけて開催されたイベント。YMCKは2010年版、『シャンティ』シリーズで知られるJake Kaufman(Virt)はAnamanaguchiと同じ2011年版に出演した。

福岡から来てくれた友人のUSKがステージに上がって、自分の曲「Kill Me Sweetly」をゲームボーイで演奏してくれて、僕らはそれに合わせて自分たちの楽器で演奏した。お客さんはステージダイブしまくってて……最高だったよ。日本のお客さんはすごく大人しいと聞かされていたんだけど、実際はその真逆だった(笑)。

それ以来、Anamanaguchiは何度か日本に招かれたけど、フルバンドとしての公演じゃなかった。代わりに、SOUND MUSEUM VISIONで中田ヤスタカとのイベントでDJをやったり、2.5D StudioやMOGRA秋葉原で、僕らが深く敬愛しているTrekkie TraxやMaltineのアーティストたちと一緒にDJをしたりした。一番最近の来日は、Red Bull Music Studioで、僕らの曲「Miku (ft. 初音ミク)」を完成させるためだったね。
思い出といえば、いつも心に残っているのは、ある夜、日本の友人たち全員と代々木公園のピクニックテーブルに座っていたことかな。「幽霊を信じる?」「日本のピザについてどう思う?」みたいな他愛もない話をして。空気が気持ちよくて、いい時間だった!
――当時と比べて、Anamanaguchiの知名度は世界的にかなり広がったと思います。その変化を、ご自身ではどのように感じていますか?
Peterすごく不思議な感覚だよ!チップミュージックという小さなサブカルチャーの中ですら、名前が知られるようになったときは不思議だったし、僕らの曲「Helix Nebula」(当時は「Everybody Sleeps」というタイトルだった)が、Famicompo mini 3【※】で2位を獲得したときも、同じように不思議な気持ちだった。
※Famicompo mini ファミコン(NES)のサウンドチップのみを使って楽曲を制作し、競うコンペティション。
今の規模感は正直、実感としてつかむのがかなり難しい。「Miku (ft. 初音ミク)」の何百万回という再生回数についても、曲がリリースされた当初に北米でミクと一緒にツアーをしたこと以上の実感は得られていない。「スコット・ピルグリム」のサウンドトラックの影響力についても、アニバーサリーのツアーで演奏することを通じて、ようやく実感できたくらいだ。
ミクとの曲やスコット・ピルグリムのように、僕らが主役ではなかった仕事や誰かの作品にインスピレーションを与えた話ばかりが先に知られて、バンドとしての本当のAnamanaguchiが陰に隠れてしまっているような感覚がある。かつては自分たちに固有のものだと感じていたアイデアが今ではずっと一般的なものになっていて、それはワクワクすることでもあるけど、その物語の中での自分たちの立ち位置が少し曖昧で抽象的なものに感じられてしまうこともある。
今、僕らが名声や注目に対して向き合っていることは実はすごくシンプル。自分たちが触れてきたものだけじゃなくバンド自身をもう一度見えるようにすること、それに尽きるんだ。
――この12年で、東京の街も文化も、音楽をめぐるオンラインカルチャーも大きく変わりました。今回戻ってくるにあたって、気になっていることや、少し不安に感じていることはありますか?
Peter令和になってから、僕らは日本に来ていないんだ。2016年くらいから世界全体が変わってしまった感覚があるから、日本もその例外じゃないだろうなと思っている(笑)。
変化自体は、僕らはあまり気にしないかな。一見すると急激に変わったように見えるものの奥底で、何が変わらずに残っているかを見ることで、すごく多くのことを学べるからね。僕らはもともと好奇心が強いタイプだから、また日本を探検できるのを楽しみにしているよ!
強いて言えば、少し不安なのは公演がすごく早い時間に、平日に、しかも祝日の翌日にあることかな。招待した人たちの多くが「本当に行きたい!でも、行けるかな?」って言っているみたいなんだ。
まあ、ちょっと目先のことしか見えていない、小さな不安かもしれないけどね。でも、これって高円寺HIGHでのBlip Tokyoの前に感じていた気持ちと、だいたい同じなんだよ!

――前の記憶と比べて、今回一番楽しみにしていることは何ですか?
Peter日本に来るたびに「今度こそ東京を出るぞ」って言うんだけど、結局いつも出ないんだよね!今回はもっとたくさん日本を見て回りたいけど、滞在がすごく短いんだ。本当に願っているのは、この公演が、AnamanaguchiとJapanese musicとの、もっと長い関係の始まりになることだよ。
ちょっとベタな話だけど、ラーメンはたくさん食べるつもり。HARD-OFF、Game Bar A-Button、スーパーポテトにも行く予定。ピコピコカフェも可愛くていいよね。服を持ち帰るためにバッグのスペースも空けてあるよ。

2011年の滞在のときに買ったものは、今でも全部着ているくらいだから。J Press、Jackman、Amorphia、Lad Musicianとか、いろんなお店を回りたい。あと東京で一番美味しいピザも見つけたいな。
FORESTLIMIT【※】にも行ってみたいと思ってる。残念なのは僕らが日本にいる間、1LDKがヨーロッパをツアー中だということ。
※FORESTLIMIT 東京・幡ヶ谷にあるライブスペース兼バー。ノイズや実験音楽からダンスミュージックまで、オルタナティブな音楽イベントを幅広く開催している。2014年頃から毎週水曜に開催されてきたパーティ「K/A/T/O MASSACRE」(カトーマサカー)でも知られ、ジャンルやシーン、国境を問わないブッキングで、東京のアンダーグラウンドシーンを支えてきた。







