■次世代機という名の誤解2011年9月14日、SCEJ Press Conferenceが行われた。発表の主役だったのは、PlayStation Vita(プレイステーション ヴィータ)である。私は今年の1月、はじめてPlayStation Vitaの概要が発表された時に、「獅子は笑顔で目覚めた」と題した記事を書いた。他誌・他サイトでもPlayStation Vitaの成功を予見する記事を書いている。なぜか。PlayStation Vitaには未来を感じるからである。ゲームの世界では、新型ハードのことを次世代機、または後継機という。1・2・3。まさにプレイステーションが、世代が変わるごとにナンバリングされているように、今あるものを進化させたものが、次世代機・後継機だ。私のイメージではPlayStation Vitaは未来から逆算して生まれたマシン。過去の系譜からつながっていない。一段、高い層(レイヤー)にある。別次元からやってきたようなもので、けして、プレイステーション・ポータブルの次世代機・後継機ではない。今日行われたカンファレンスも含め、PlayStation Vitaは緻密に発売準備を行っているが、過去に痛恨のミスがあったとすれば、PlayStation VitaのコードネームをNGP(ネクスト・ジェネレーション・ポータブル)と呼んでしまったことだ。この名によって、本来は違うはずの、次世代機を連想する人を増やしてしまったのではないか。なぜ、私はPlayStation Vitaは次世代機ではなく、未来のマシンと位置づけるのか。理由を列記する。1.Wi-Fiまたは3G回線によってネットワーク接続機能が標準搭載されていること。2.パッケージソフトとクラウド上の情報を一画面に混在させることができること。3.無料、または安価にソフトを販売。のちにデータを追加購入できること。4.すなわちゲームソフトの販売方法が多様性を持つこと。5.自社プラットフォームにしばられず、他社の端末との連携できること。6.既存のインターネットサービスを活用できること。などである。自社プラットフォームが閉鎖的で、ソフト供給はパッケージ販売が主流。「ファミリーコンピュータ」の登場以来、伝統的に引き継がれてきた家庭用ゲーム機の大転換期を迎えたことを意味する。■NTTドコモとニワンゴしたがって、今日のカンファレンスで、私が注目していたのは「未来の具体像」だった。いくつかあった。まずは、登壇ゲストとして招かれたNTTドコモ、辻村清行・代表取締役副社長のプレゼンテーションだ。NTTドコモがPlayStation Vitaのために「プリペイドデータプラン」という、手続き不要の新しいサービスを創案したことだけでもビッグニュースだが、このプランが生まれた背景説明、また今後の展望がしっかりとしていた。会場内のスクリーンには、私が上記したことがズバリそのまま書かれていた。(写真参照)「われわれはなぜPlayStation Vitaの将来に期待するかというと、クラウドサービスと一体化できる点。一例ですが、外国の人とゲームをするときに自動翻訳プログラムをサーバー内に置くことなどができる。また、ゲームというアプリケーションをクラウド上で情報処理をしてもいいし、端末側で処理をしてもいい。その組み合わせ方によって、新しい遊びが生まれる可能性がある。さらに、スマートフォンやタブレットPCと、PlayStation Vitaが連携することで、今までとは違う遊び方が生まれるでしょう」辻村氏はこのような趣旨の発言をした。私が描くゲーム未来像は、端末のハイブリッド化だ。ハイブリッド=ふたつ、またはそれ以上の異質のものを組み合わせ一つの目的を成すもの。メインのゲームはPlayStation Vitaで遊ぶ。登場キャラクターの育成はスマートフォンで行う。ゲーム結果は新聞風にレイアウトされた画像をタブレットPCで読む。ひとつの端末で完結しない。プレイヤーの日々の生活に合わせ、複数の端末を使ってひとつのゲームを遊び込んでいく。別の言い方をすれば、今までゲームモードと呼ばれていたモードが、複数の端末に分散していくイメージがある。辻村氏は私の持つイメージの通りのことを述べた。次に特筆したいのはニワンゴ、杉本誠司・代表取締役の登壇だった。ニワンゴはニコニコ動画をPlayStation Vitaを使って視聴すること、コメントを書き込むことができることを表明した。そのための専用アプリケーションを無料で提供する。これはまさに、既存のインターネットサービスの活用例となる。既報されている、Facebook、Twitter、Skype、foursquareにニコニコ動画が加わると、PlayStation Vitaはまさにソーシャル・ネットワークマシンとなる。だが、杉本氏は壇上にあがると同時に、「錚々たるゲームクリエイターの皆さまのあとに登壇して恐縮ですが」「PlayStation Vitaの発表会になんでニワンゴ? とお感じでしょうが」と自分が場違いな所にいるのではないか、と解釈できる発言をなさった。私は心の中で叫んでいた。まったく場違いではない。あなたこそ、この場にいるのがふさわしいと。理由は後述するが、ニワンゴの参入こそ、PlayStation Vitaらしさを感じるからだ。■涙ながら聞いたプレゼンテーション杉本氏の言葉にあるように、カンファレンスの流れでは、そのまえにはゲーム会社各社のゲームクリエイター、プロデューサーが登壇していた。登壇はしなかったが、新型ゲーム機の発表会でよく見かける光景で、著名なクリエイターが顔写真・名前とともにPlayStation Vitaを支援するメッセージがスクリーンに流れた。そこで私が読んだ、聞いた言葉は、従来からあるゲームの言葉だった。「前作との違いは」「今回追加された新しい要素は」「PlayStation Vitaのグラフィックス表現をいかして」‥‥などなどだ。昨日、私は任天堂・岩田社長がソフトの具体的な説明を熱心に聞いた。なぜならば、任天堂が行ったのはソフト発表会で、それがカンファレンスのメインコンテンツだったからだ。だが、PlayStation Vitaを未来のマシンととらえている私は、昔からよく使われるゲーム用語を聞きたくなかった。ところが、スクリーンに写った人、登壇された方のほとんどが、知人である。20年来のつきあいがある方、Twitterで相互フォローしている方、Facebookで友達になっている方、一緒に旅行をさせていただいた方もいる。そして恩人ばかりである。私に完成したソフトを送ってくださる方、私から頼んで品薄商品を手配してくださった方、ゲームとは何か? を教えてくださった方。私の「借り」がいっぱいある方たちが、一生懸命に自社ソフトの解説をしていた。スクリーンに写った人、登壇している人、大好きだ。でも、今日はトラディショナルなゲーム用語を聞きたくなかった。結論はすでに書いているが、私の心が揺すぶられた登壇者は、一度も面識もないNTTドコモの辻村氏とニワンゴの杉本氏の2名なのだ。私は彼らのプレゼンテーションを、はじめ、正視できなかった。知人・恩人ばかりなのに、今日、その言葉を原稿にして伝えることは、絶対にしないことがカンファレンス中に判断していたからだ。私はうつむいて、泣いた。恩人たちの言葉でも、ここは非情になって割愛しなくてはいけない。申し訳ない気持ちが込み上げてきた。そんな時間帯が30分ほどあった。しかし、私は信じることにした。恩人たちは、私以上にPlayStation Vitaの本質を見抜いている。今日は、すでに開発しているソフトをプレゼンテーションするのが職務なのだ。いずれ‥‥いやもうすでに着手しているかもしれない未来のゲームがきっとあるはずと。PlayStation Vitaを革命的なマシンと呼ぶとするならば、革命には時間がかかる。逆の言い方をすると、NTTドコモの辻村氏とニワンゴの杉本氏の2名だけが登壇者だとしたら、意味不明のカンファレンスになってしまった。主催者であるSCEJは、そのことを十分に理解して、すでに認知されている価値と未来の可能性を並び立てたに違いない。そうだ。革命には時間がかかり、真の改革者はバランス感覚が必要だ。今までのゲームを、今までの言葉で説明する人がいてもいいではないか。心の中でそんな整理ができた瞬間に、私の涙は止まった。■もっとも注目するアプリはブラウザ人ことを語り出すと、どうも湿っぽくなる。最後に注目するPlayStation Vita内蔵アプリケーションの話をしよう。インターネット接続できる端末がある。その中にブラウザがある。ということは、PlayStation Vitaを使ってブラウザを使ったエンタテインメント体験ができることを意味する。その実例が、ニコニコ動画だ。したがって、理論上はブラウザ使ったゲームがPlayStation Vitaで遊べることになる。いきなり固有名詞を挙げるが、Yahooモバゲーにアクセスして、『怪盗ロワイヤル』を遊ぶことができる。PlayStation Vitaを持ってGREEが提供されている『告白週間』を見ながらニヤニヤしてもいい。だが、理論上といったのは、PlayStation Vita専用ブラウザのための最適化を行わないとこれらアプリケーションは作動しない。Googleクロームとインターネット・エクスプローラとSafariは異なる仕様となっている。これと同じことで、ゲーム、サービス、アプリケーションを提供する側が、PlayStation Vita専用ブラウザのための最適化を行えば、作動するのだ。何度も繰り返すが、ニコニコ動画は最適化を行ったので、今日のデモンストレーションができた。他社も最適化を行えば、ニコニコ動画と同じことができる。私は冒頭でPlayStation Vitaは「一段、高い層(レイヤー)にある」と述べた。その真意は、このブラウザの存在によって、ソーシャルゲームが遊べても何の不思議もないからだ。家庭用ゲーム機対ソーシャルゲームの不毛の論議は意味がなくなるかもしれない。PlayStation Vitaは、ソーシャルゲームを包含する可能性がある。そんなことをSCEJは認めるのか?認めている。認めているどころか、今日のメインスピーカーであった河野弘プレジデントは、「IT企業と協業する」「異業種の方たちともつながっていく」「SCEJも変わらなくてはいけない」と公言していた。PlayStation Vitaは「クローズド」へのこだわりを捨てた、日本初のゲーム専用機だ。PlayStation Vitaは、ゲーム会社がつくるハイエンドなゲームソフトを求めているが、それ以外のインターネットサービスも求めている。なので、ゲーム機専用ソフトとは縁がなかった人からの提案に対して、門戸を閉ざさないだろう。インターネットサービスを運営している企業の方々、同士が集まってブラウザゲームをつくっている学生の方々。PlayStation Vitaのブラウザで、われわれのサービスやゲームを提供したいのですが、とSCEJにコンタクトしてもいい。もし、その時、畑違いの人から連絡があったという雰囲気を感じたなら、「御社のプレジデントが、『異業種の方たちともつながっていく』と2011年9月14日におしゃってました」と言えばいいのだ。■著者紹介平林久和(ひらばやし・ひさかず)株式会社インターラクト(代表取締役/ゲームアナリスト)1962年・神奈川県生まれ。青山学院大学卒。85年・出版社(現・宝島社)入社後、ゲーム専門誌の創刊編集者となる。91年に独立、現在にいたる。著書・共著に『ゲームの大學』『ゲーム業界就職読本』『ゲームの時事問題』など。現在、本連載と連動して「ゲームの未来」について分析・予測する本を執筆中。詳しくは公式サイト、公式ブログもご参照ください。Twitterアカウントは@HisakazuHです。
変態マシンは正しく理解されるか。プレイステーション4(PS4)・・・平林久和「ゲームの未来を語る」第33回 2013.2.24 Sun 2013年2月20日(日本時間2月21日)、米・ニューヨークで次世代…