世界最大のアウトソーシング専門会社、上海のバーチャスに聞く(前編) | GameBusiness.jp

世界最大のアウトソーシング専門会社、上海のバーチャスに聞く(前編)

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世界最大級のアウトソーシング専門企業バーチャス。中国・上海に本社を構え、成都でもスタジオを運営。パリ、バンクーバーにも支社を構え、ワールドワイドなビジネスを展開しています。
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世界最大級のアウトソーシング専門企業バーチャス。中国・上海に本社を構え、成都でもスタジオを運営。パリ、バンクーバーにも支社を構え、ワールドワイドなビジネスを展開しています。

クライアントはアクティビジョンブリザード・EA・セガ・SCEと世界中にわたり、日本ではカイオスが営業代行を行っています。E3のビジネスブースでCEOのジル・ランゴリックスCEOに経歴を伺いました。

―――失礼ですが、おいくつですか?

42歳です。妻と二人の子供がいて、上海に住んでいます。世界で一番エキサイティングな場所だということを、妻も理解してくれているようです。

―――ゲーム業界に入った経緯を教えてください。

UBIソフトに1995年、プロジェクトマネージャとして入社しました。二つ理由があって、子供の頃にゲームをプログラムして遊んでいたんです。初期のパソコンで、コモドール社のVIC-20でした。

―――なつかしいですね。

もう一つは、フランスのハイテク新興企業に入社したかったのです。ちょうどUBIソフトで新しくスタジオを立ち上げるにあたり、プロジェクトマネージャを募集していました。当時はすでに100名規模の企業になっていましたが、まだ中小企業でした。そこに惹かれたんです。

―――当時メガドライブの『レイマン』シリーズなどを良く遊びましたが、今のように大企業になるとは、想像できませんでした。

そのとおりです。自分は6年前まで在籍していましたが、その頃にはかなり大きくなっていて、マネジメント的にも、ブランド力を高める意味でも、非常に能力が高いことがわかっていました。さらにすごいと思うのは、チーム力です。UBIソフトの社員は他の企業に比べて定着率が高いですし、働いて楽しい雰囲気作りなどが上手いんです。アジャイルをはじめ、新しい技術も積極的に取り入れてシステム化していく姿勢もありました。それらすべてをあわせて、賞賛に値します。

―――90年代後半、GDCで社長以下アルバイトに至るまで、みんなで車座になって、これからの戦略を議論されたそうですね。そこから『レインボーシックス』シリーズをはじめ、トム・クランシー版権のゲームが生まれてきたと伺ったことがあります。

そうした家庭的な雰囲気もUBIの特徴でした。たしか1996年の暮れ、クリスマス休暇のことでしたが、創立者のギルモ兄弟がスキー旅行に行ったんです。そこである雑誌の中国経済に関する記事を読んだらしく、戻ってきて「次のスタジオは中国に作る」と言い出しました。その二週間後には、兄弟の一人と一緒に自分も中国に視察をしていました。

―――それは腰が軽いですね。

それまで中国でゲームを作るなんて、誰も考えませんでしたし、ゲーム業界ではあきれられました。しかし中長期的なビジョンを持ち、リスクをとっていかなければ、先に進めないことはわかっていました。そのおかげで、我々の会社も中国でビジネスができるようになったのです。

―――UBI上海スタジオで仕事をする中で、一番学んだことは何ですか?

1997年にスタジオを立ち上げ、そこから3年間、ゼネラルマネージャとして運営を行いました。そこで学んだのは、自分たちがリスクを背負って、現地スタッフに信頼してもらえれば、良い仕事ができるということです。当時中国のディベロッパーはヨーロッパや日本よりも遅れていました。我々も彼らにコンプレックスを感じさせてはいけないと思っていました。一方で、我々はあえて状況を逆にとらえたんです。

―――というと?

せっかく新しいスタジオを立ち上げるのだから、現地のスタッフに簡単な仕事をさせる必要はない。西洋と同じレベルの社員教育をほどこして、同じレベルのクオリティを要求しました。つまり、他のスタジオと同じように運営したのです。そうしたら「この会社は私たちを信頼してくれている」と受けが良かったのです。

―――なるほど。

この精神は私がUBIソフトを退社して、バーチャスを2004年に立ち上げたときも引き継がれました。おかげさまでバーチャスのクオリティは他の中国スタジオと比べても高い評価をいただいていますが、その理由の一つかと思います。

―――あなたの人生はリスクテイクで満ちていますね。UBI上海のゼネラルマネージャという地位は悪くなかったと思いますが、なぜあえてその地位を捨てて、独立しようと思ったのですか?

もともと自分は起業家精神で物事を捉えてきました。それで良いタイミングだと思ったんです。2004年ごろは中国もかなり成熟してきました。現世代機の足音が聞こえてきていて、グラフィックアセットの外注ニーズの高まりが予想されました。中国でスタジオを立ち上げた経験もありました。こうした条件に背中を押されたんです。

―――ありがとうございました。
《小野憲史》

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