ビジュアルノベルはいつ成立し、そして現在に至るのか? ストーリーゲーム研究家・福山幸司氏が解説する歴史 | GameBusiness.jp

ビジュアルノベルはいつ成立し、そして現在に至るのか? ストーリーゲーム研究家・福山幸司氏が解説する歴史

ストーリーとキャラクターを特徴とするジャンル「ビジュアルノベル」。このジャンルは一体いつから誕生し、現在に至るのでしょうか?気鋭の研究者がその歴史を紐解きます。

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ビジュアルノベルはいつ成立し、そして現在に至るのか? ストーリーゲーム研究家・福山幸司氏が解説する歴史
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キャラクターとストーリーを特徴としたゲームジャンル「ビジュアルノベル」。この独特なジャンルは一体いつ成立し、日本のみならず、世界へ広がっていったのでしょうか?

2019年7月1日、IGDA日本主催による「世界のビジュアルノベルゲームは今。第3回 ビジュアルノベルゲームの過去・現在・未来」がクラーク記念国際高等学校秋葉原ITキャンパスにて開催されました。

本講演のスピーカーを務めるのは、ゲームジャーナリストの福山幸司氏。RPGやアドベンチャーゲーム(以下、ADV)のように、物語がゲームデザインに含まれたジャンル“ストーリーゲーム”を主なテーマとして取り扱っており、ADVの歴史研究をライフワークとしています。代表的な仕事には、綿密な下調べを元にした堀井雄二氏へのインタビューがあります。

今回、福山氏はADVの歴史から、いかにしてストーリーを楽しむジャンルとしてビジュアルノベルが成立していったかを解説し、現在ではどんな広がりを見せているかをまとめました。

「ビジュアルノベル」の定義とはなにか?



そもそも「ビジュアルノベル」の定義とはなんでしょうか? 魅力的なキャラクター、豊富なテキストで描かれるストーリー、選択肢によるシナリオの分岐が含まれたゲームデザインなどが思い当たるでしょう。

まず福山氏はおおまかな定義について説明します。日本と海外ではジャンルの定義に違いがあり、少し前の日本国内では「90年代の後半から出てきた、ノベル寄りの美少女ゲーム」と理解され、ADVのサブジャンルとして捉えられてきたといいます。

ビジュアルノベルが登場する以前には、チュンソフトが制作した『弟切草』や『かまいたちの夜』といったサウンドノベルとの関係を指摘します。コンソールで誕生したこのジャンルが、後にPCの美少女ゲームに影響を与え、ビジュアルノベルに結実していきました。

1996年、Leafの『雫』によって「ビジュアルノベル」という名称が生まれましたが、翌年には他社であるタクティクスの『MOON.』の企画書に、「ヴィジュアルノベル(※原文ママ)」という言葉が使われており、当時の業界で早くもこの名称が広まっていることが伺えます。『MOON.』は、後にビジュアルノベルを牽引するKeyの開発者たちが制作したことで知られています。

このため福山氏は「まだ実証的に見ていないが、ジャンルの中心メーカーだったLeaf、タクティクス、Keyがこの名称を広めていったのではないか」と推察しています。

海外のADVは、三人称の画面で主人公を操作するタイプが主流であり、そこに立ち絵が使われていました。90年代中頃や後半になると、このフォーマットに実写やポリゴンが適用され、立ち絵を使った表現自体が少なくなっていくとのこと。

一方、海外のビジュアルノベルの理解は、「キャラクターの立ち絵と背景、そこにセリフを記したテキストボックスを組み合わせたスタイル」だと考える人が多いそうです。しかしその定義では『ポートピア連続殺人事件』や『逆転裁判』のような、コマンド選択型ADVも該当するため、日本のプレイヤーからすれば違和感があるでしょう。

そう定義される背景に、福山氏は「欧米では80年代から90年代の日本のADVがほとんど輸出されず、さらにテキストボックスタイプと比べて、(『ひぐらしのなく頃に』などの)全画面にメッセージが出るタイプのノベルゲームの海外展開が少し遅かった」ことを指摘しています。

『ポートピア連続殺人事件』の英語版Wikipediaに記載されている、イギリスのゲーム雑誌Retro Gamerに掲載された同作の評で「ビジュアルノベルを定義する役割を果たした」という一文を福山氏は取り上げ、「いわば、海外でビジュアルノベルとは日本製ADVを指しており、JRPGと同じニュアンスで捉えられている」と説明しました。

テキストから始まったADVに、いつビジュアルとキャラクターが付くようになったのか?


海外のユーザーが作成したマップを基に、福山氏が1976年版のマップを(記憶で)再現したもの。「終盤に登場する迷路」の存在は、本作を模範にしたADVを経て、日本のADVにも脈々と受け継がれていきました。

ではいかにして、ADVの歴史がビジュアルノベルに繋がっていったのでしょうか? 福山氏はすべての始まりとして『コロッサル・ケーブ・アドベンチャー』(以下、CCA)を取り上げ、ビジュアルノベルの持つ特徴が、どのように歴史のなかで登場してきたかを解説します。

世界初のADVである『CCA』はすべてがテキストで表示されるゲームでした。ゲームプレイも広大な洞窟を探検することがメインであり、特定のキャラクターを持った主人公を操作するのではなく、まさしくプレイヤー自身が冒険する形でした。

ストーリーを読み解くものでも、魅力的なキャラクターが登場するものではなかったのですが、「最深部に到達したときの、"随分と遠くまで来てしまったなぁ…”という旅情感は格別。洞窟の描写は神秘的で、しばしば文学性を感じることができる」、「宝を集めきった後にもひと波乱あり、クライマックスと結末がある。ストーリー的なものを経験した感覚が十分にある」と福山氏は言います。

『CCA』は主に、プレイヤーが単語を直接入力して進めるという、いわばコンピューターと対話して進めるものでした。TRPGの『ダンジョン&ドラゴンズ』の影響を受けており、ゲームマスターと会話しながらゲームプレイするTRPGのスタイルを、コンピューターに落とし込んだものだったのです。

しかしADVの誕生と、コンピューターRPGを分け隔てる特徴として、ADVはキャラクターの成長要素を排除し、探検そのものが主軸に置かれたことでした。これは「制作者のウィリアム・クラウザーがケイビング(アウトドアスポーツとしての洞窟探検)が趣味だったことから起きた化学反応」と福山氏は指摘します。

『CCA』は当時のネットワークを介して巨大な影響を生み出し、多くのフォロワーが登場し、徐々にゲームプレイも単なる洞窟探検に留まらないものに変化していきました。

一例として、小説的なジャンルに接近していった制作会社「アドベンチャー・インターナショナル」があります。ロバート・ルイス・スティーブンソンの小説『宝島』に着想を得た、宝探しに物語的なシチュエーションを持たせたADVや、スパイ小説やホラー小説風のストーリーを持たせた宝探しのADVを70年代後半に制作しています。


そんな中、シエラオンライン(※現在はアクティビジョン・ブリザードの傘下でシエラエンターテイメント名義)から『ミステリーハウス』がリリースされます。ADVの歴史上、重要なタイトルであり、テキストだけではなく、絵で表現するようになった「グラフィックアドベンチャー」を生み出しました。

『ミステリーハウス』は宝を探すために館に集まった8人の男女の中に、殺人鬼が混ざりこんでおり、一人ずつ殺されていく状況から宝を見つけ、脱出するのが目的です。しかし、登場人物は多数出てくるものの、まだキャラクターと会話するシステムはなかったといいます。

シエラオンラインはこの後も、ADVを制作していき、進化を推し進めます。福山氏はビジュアルノベルに繋がる部分として、次作『ウィザード&プリンセス』の宝を集めつつ目的地に到達する構造と、終盤にあるマルチルートの存在、またその次の『ミッション・アステロイド』における、キャラクターとの会話が部分的に描かれていた発展を指摘します。

その後、グラフィックアドベンチャーは他社も追随し、82年には部分的にアニメーションを使ったADVや、グラフィックツールを使った高精彩なADVが登場しました。

その中でシエラオンラインは、再び変革を起こします。三人称でキャラクターを操作するまったく新しいADV『King’s Quest』です。これは、のちにルーカスアーツが確立する「ポイント&クリックADV」とインターフェイスを変えつつ、90年代から2000年代初頭まで海外ADVの基盤となったいえる作品でした。


ビジュアルを進歩させるADVが続く一方、テキストのみのADVを追求した会社も存在します。インフォコムがそうでした。彼らはグラフィックアドベンチャーと差別化するために、テキストアドベンチャーを「インタラクティブフィクション」と命名。『ZORK』をはじめとしたタイトルが高い評価を受けていきます。

海外ADVは日本へどう伝わり、理解されたか?



海外で進歩していったグラフィックとテキストのADVは、どのように日本へ伝わったのでしょうか?

福山氏によれば、81~82年当時の日本で海外ADVを紹介したメディアとして「ホットドッグプレス」のようなカルチャー雑誌があったといいます。アメリカで流行しているPCゲームの特集で、その中で小さくADVが紹介されていました。こういった記述は、Apple IIの専門誌「Softalk」が売上げランキングでADVを扱いはじめたことが、日本で紹介されるきっかけになったと推測できるようです。


日本での本格的なADVの紹介は、「月刊アスキー」1982年4月号です。本書には1ページに渡るADVに絞った記事があるのに加え、日本初のADV『表参道アドベンチャー』が掲載されており、日本のADV史において転換点といえるものでした。同年の下半期には他紙でもADVの紹介や特集記事も増えはじめ、日本でもゆっくりとADVが浸透していきました。

83年になると、日本産のADVが爆発的に増える一方で、シエラオンラインなどの海外ADVの日本語版が発売されていきます。ただし公式からソースコードが与えられず、「目コピで日本版が作られていたこともあった」そうです。 

しかし、前述した三人称ADV『King’s Quest』は日本では未発売であり、これに関して福山氏は「推測でしかないが、新しいADVだったので、目コピでどうやって作ればいいかわからなかったからかもしれない」と言います。

そのせいか海外においては重要なADVの『King’s Quest』は日本ではまったく影響力を持ちませんでした。こうしたこともあり、海外と日本のADVは別々の道を歩むことがより鮮明になっていきます。

ビジュアルノベルの要素を先行した日本ADVの構造



福山氏は、日本独自のADVが形成される上で、日本版が未発売なのにも関わらず、重要な影響を及ぼしたタイトルとして、インフォコムの『Deadline』を取り上げました。

『Deadline』は、グラフィックがないADVでしたが、主人公が刑事となり、容疑者から会話で情報を収集し、殺人事件の謎を解くADVの元祖でした。日本では82年末の「月刊ログイン」などで紹介されており、雑誌や口コミの情報のみからで、『ポートピア連続殺人事件』や『鍵穴殺人事件』のスタイルに着想を与えたと言います。

福山氏が『Deadline』で重視したのは「宝探しやリドルではなく、キャラクターを描く、人間ドラマのADVだった」点です。当時、海外ADVがプレイできるApple IIは高嶺の花でした。多くの日本人開発者は、実際にゲームをプレイせず、雑誌のADVの紹介からどのようなゲームかの想像力を膨らませました。

特に『ミステリーハウス』や『Deadline』が日本で紹介されていくなかで、キャラクターと会話しながらストーリーを追いかけることが、ゲームプレイの主な体験であると受け止めた開発者がいたことです。

このことは日本独自のADVが花開くきっかけとなりました。なお、『ポートピア連続殺人事件』や『鍵穴殺人事件』と同年のストーリー型ADVの先駆け『惑星メフィウス』に関しては、「推測でしかないが、『ウィザード&プリンセス』と『ミッション・アステロイド』に影響を受けている節がある」とのことです。


その中で、福山氏はエニックス(現 スクウェア・エニックス)の『ポートピア連続殺人事件』を日本のキャラクターとドラマを描くADVとしての方向性の指標となった作品として挙げました。

『CCA』や『ミステリーハウス』では東西南北の方角をマス目的に少しずつ移動するものだったのに対し、『ポートピア連続殺人事件』では目的地を指定すると瞬時にその場所に移動し、その途中の空間は省略されました。

福山氏は、作者の堀井雄二氏が「火曜サスペンス劇場をやりたかった」発言を引用しながら、『ポートピア連続殺人事件』が映画や小説、アニメのような既存の物語メディアに近い場面転換をADVでもたらしたと説明していきます。

さらに福山氏は、「ADVにおける主人公の自律性が徐々に確立していった」といいます。その一例として、主人公の台詞の扱い方の片鱗を挙げました。84年の坂口博信氏の『ザ・デストラップ』ではコンピューターの応答文に加えて、主人公が自律的に台詞を発しているのに注目し、これが翌年の『TOKYOナンパストリート』や『軽井沢誘拐案内』では、コンピューターの応答文が主人公の台詞と一体化したことを挙げました。

これは現在でも『逆転裁判』などで使われている、主人公が独り言を発してストーリーが進むADVの基本的な手法のひとつです。また86年の『殺人倶楽部』では、主人公はしゃべらないものの、応答文が小説的な地の文のように描かれていることも注目しました。


キャラクターとストーリーによって、映画や小説、アニメのようなドラマティックなADVを作ることができる」と示して以降、日本のADVは80年代後半にひとつの完成形を見せます。『ジーザス』や『スナッチャー』など、豊富な視覚的表現を持ったタイトルが多数制作されていきました。

80年代に日本のADVがこうして完成されていきました。


日本のADVが行き詰った時代の模索―ノベルゲームの誕生


しかし80年代後半に完成されたADVは、80年代末から90年代になると停滞を始めます。福山氏はその理由を、完成形と呼べるコマンド選択型ADVの大作が多数発売したこと、美少女ゲームが台頭したため、ADVがが氾濫したこと、RPGも普及し始めたため、ストーリーを楽しむメディアとしてのADVの専売特許がなくなったことを挙げました。

プレイヤーのトレンドもRPGに傾いており、そのため80年代末から90年代は新機軸のADVが模索されました。銃撃シーンが導入されたADVの『スナッチャー』やシステムサコムのノベルウェア、さらに90年代からは恋愛シミュレーションやサイドビューADVなど、さまざまな作り手が新しいADVを探求していきます。サウンドノベルは、まさしくそうした模索から生まれたひとつだと解説します。


そんな模索期の1992年に、ビジュアルノベルに繋がる大きな流れを作ったタイトルが発表されます。サウンドノベルの『弟切草』です。

ファミコン版『ポートピア連続殺人事件』や『ドラゴンクエスト』シリーズに関わった、チュンソフトの新たな試みとして、1992年にスーパーファミコンでリリースされました。

ゲームは、一人称による近代小説的なテキストが画面全体に表示され、コマンドを選択するのではなく、主人公の心情による選択肢を特徴とし、さらにその選択肢からストーリーが無数に枝分かれしていきます

選択肢によって、ストーリーの前提するも変化するシナリオはテレビ脚本家・小説家の長坂秀佳氏が考案。もともと長坂氏がゲームブックを構想しましたがお蔵入りとなり、その後にエニックスで『仮面舞踏会』というADVを企画するも、これも頓挫。その後、エニックスからチュンソフトに紹介された流れだそうです。


同年には、恋愛ADV『同級生』が発売しています。本作は、「ヒロインを口説き落とす」ことが目的だった従来の美少女ゲームから、「ヒロインの悩みを解決して、恋愛関係に到る」という方向性を鮮明にしました。福山氏は『同級生』がマルチヒロインシステムなため、「攻略しないヒロインは、悩みが解決しないままになるということ」と指摘します。

このことは、何度もバッドエンドを繰り返しながら犯人を探すサウンドノベル第二弾『かまいたちの夜』のループ的な遊びを経て、『この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO』のような、同じ時間を繰り返しながらヒロインを救済する美少女ゲームのループものの準備段階として機能していたと解説しました。


1996年にはサウンドノベルと美少女ゲームが切り開いたゲームデザインを組み合わせ、「ビジュアルノベル」という新たなジャンル名をまとい『雫』、『痕』がリリース、そして翌年には『To Heart』が生み出されました。

『弟切草』や『かまいたちの夜』を発端とし、それに追随したサウンドノベルの主な題材は、ミステリーやホラーが中心でしたが、『雫』、『痕』、『To Heart』には、それらに加えて、家族や友達との共同体の日常描写、伝奇やバトル、感動要素といった、後のビジュアルノベルのトレンドといえるものがすでに含まれていました。

感動要素はにKeyの『Kanon』や『Air』といった「泣きゲー」に、友達との日常描写は『シュタインズゲート』や『ひぐらしの鳴く頃に』、バトル要素はニトロプラスが制作するタイトルに引き継がれていったといえるでしょう。

これらの作品は、アニメ化するなどメディアミックスを活発に行い、一時代を築き上げていきます。このようにヒット作が生まれていくことで、90年代末にはジャンルとして定義されたことが説明されました。

90年代の終わりごろに、ビジュアルノベルが成立します。


ビジュアルノベル制作の民主化―開発ツールの登場



ビジュアルノベルがジャンルとして広がったもうひとつの要因として、福山氏はゲーム開発ツールの歴史も紹介。『オホーツクに消ゆ』のプログラムから生まれた「アドベンチャーツクール」が87年に発表されており、これはのちの『RPGツクール』の前身といえる存在でした。

90年代末にはノベルゲーム制作ツールとして「吉里吉里」や「NScripter」が登場しています。TYPE-MOONは「NScripter」を使って『月姫』を、「吉里吉里2」を使って『Fate/stay night』を制作して、大ヒットを記録しています。

ビジュアルノベルの現在―海外でも制作が盛んに


2004年に開発ツール「Ren’py」の登場以降は、英語圏でもビジュアルノベルの制作が活発になります。近年の話題作となった『Doki Doki Literature Club!』や、障害者との恋愛を描く『かたわ少女』が制作されています。

韓国の李氏朝鮮時代をモデルとしたSF『Analogue: A Hate Story』や、アメリカのマイノリティに属する女の子を描いた『Butterfly Soup』など、クリエイターの自身のパーソナルな問題意識が反映された作品が登場しており、日本とは違うアプローチのビジュアルノベルが制作されています。


さまざまな国でビジュアルノベルが制作されるなか、福山氏は中国での現在のビジュアルノベルの流行がどのように生まれたかの紹介しました。

いくつかの先行作はあったものの、転機となったのは2004年に発売した『戀愛遊戲製作大師2』でした。これは2001年に発売された『恋愛シミュレーションツクール2』の台湾・中国版です。これによって中国と台湾でビジュアルノベルの制作が活発化していったようです。

昨今では、最新のVRによる『東京クロノス』や『夕鬼』といったタイトルのほか、『伊勢志摩ミステリー案内 偽りの黒真珠』のように、あえて過去のスタイルを取り入れたタイトルも登場しています。

さらに、ゲームのみならず、ニコニコ動画のbiim兄貴や、アイドルグループ「すとぷり」のジェルさんが、ビジュアルノベルをコミュニケーションツールとして使っていることを紹介しました。ビジュアルノベルのスタイルは、ゲームの枠を飛び越えた勢いを見せているようです。
(資料・スライド提供:福山幸司氏)
《葛西 祝》

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