マスとデジタルの間に「データドリブン・クリエイティブ」・・・小霜和也「ゲーム広告はこう作れ」第11回 | GameBusiness.jp

マスとデジタルの間に「データドリブン・クリエイティブ」・・・小霜和也「ゲーム広告はこう作れ」第11回

市場 プロモーション

ゲーム業界の皆様、こんにちは。今回は、僕が取り組んでいる「データドリブン・クリエイティブ」というものについて話してみたいと思います。

いま、大手総合広告代理店ではどこも共通の悩みを抱えています。それはクリエイターの「データアレルギー」です。とりわけマス系の広告クリエイターというものは、ビジネスマン半分、アーチスト半分、的なところがありまして(それは自分の関わった表現物を「作品」と呼んだりするところに現れていたりするのですが)、広告の結果よりも表現物そのものを評価してほしいという心性を少なからず持っています。

つまり、「CMは話題になったけど商品は売れなかった」という現実なんて知りたくない!それは商品の問題だろ、おれのCMの問題じゃないだろ、あー聞こえませーん、何も聞こえませんよー、ワーワーワーじゃあもういいですか、お疲れ様でしたー、という人たちだったりするわけです(かく言う自分にもちびっとはそういうとこあります)。

広告業界系メディアではいろんな広告表現が採り上げられて、あの表現はチャレンジャブルだ、あの表現は話題沸騰、などと言われたりするわけですが、「結果」までは追いかけません。数十億円使って誰もが知っているキャンペーンをやったけど商品動かずでクライアント社長大怒り、というものが広告クリエイティブ界では逆に大成功となってしまうんですね。そしてそういうものに賞とかが与えられたりする。そんな風にずっとやって来たんです。

だから、マス系クリエイターには「データ」という現実を突きつけられることに対して、自分の立っている土台がぐらぐらするような恐怖感があるのだろうと思います。オレは健康なんて気にしないから健康診断なんて何年も受けたことないぜガハハと豪傑ぶっているけど実は健診結果を見るのが怖いビビリみたいな。

逆にデジタル系代理店ではあっという間に結果が数字で出て来ちゃうので、クリエイティブはデータの奴隷みたいになってしまいます。データという神に背いて数字を落とそうものならたちどころに天罰が下り、背信者として皆から石をぶつけられる、そんな恐怖心に囚われているようにも見えます。彼らと会話していると「こわい」という単語が頻出しますね・・・。

そして気付けばマス系のクリエイティブとデジタル系のクリエイティブは寸断されることになっていきます。これまではそれでも何とかかんとかやって来られました。デジタル系でターゲットをきっちりセグメントして追いかけ回す一本釣りが効果的なケースと、マス系で地上波CM垂直立ち上がりで流通の棚にどーんと並べればオールターゲット的に売れるケースと、商品によってだいたい分かれているからです。

しかし、状況はそんなシンプルさを許さなくなって来ています。メディアのスマホシフトが進んでいるのと、アドテクノロジーが進歩しているのとが相まって、TVとWEBの関係も、これまでは「TVでリーチ仕切れないターゲットにスマホで届けよう」だったのが、「スマホでリーチ仕切れないターゲットにTVで届けよう」と、逆転し始めています。その典型がスマホゲーム広告ですよね。

まずデジタルで拡げて、限界が見えてきたらTVCM、となるのが一つのパターンですが、CMは旧来の「クリエイター直感型」と、A/Bテストの結果でスコアの高いものを選択する「データべったり型」が混在してしまっているように見えます。前者は「とにかく目立とう」という方向に触れがちになりますね。旬のタレント使おう、変なシチュエーション考えよう、あえてゲームぽくないトンマナにしてみよう、一発芸で印象だけ残そう、とにかくゴージャス感出そう、といった。後者は逆に、ゲーム素材の中からターゲットが反応したシーンを切り出してつなぐだけ、といった。

こういったやり方はそろそろ限界に来ている感があります。僕は従前から「データドリブン・クリエイティブ」というコンセプトを提示していますけども、これはある意味、マス系クリエイターたちへの、データという現実を直視する勇気を持とうよという呼びかけです。正直なところ、僕もダイレクト系のお仕事などで数字を突きつけられる時はハラハラします。

こわいです。みんなと一緒なんだよ・・・!でも、その勇気を持つことができれば、クリエイティブはもっと確信性を持つことができ、もっと自由になれると信じているのです。

僕は今後、マス系クリエイターとデジタル系クリエイターが両者の長所を採り入れながら一つになることでしか広告業界の発展はないのではと思っています。「データべったり型」でコミュニケーションしてきた業界としてダイレクト通販がありますが、どの企業の広告表現も同じようなものばかりになってしまいました。

クリエイティブを生み出す仕組みじたいがコモディティ化したことで、クリエイティブの差別化ができないというパラドックスに陥ったわけです。そうなると「声の大きい」巨大な広告投資ができる者だけが生き残る理屈となり、結果、全体的な地盤沈下はもう止められないところまで来ています。

スマホゲーム業界にも同じような兆しが出て来ているのは皆さんも感じ取っているのではないでしょうか。データ依存のデジタル系の人たちにもそろそろ「ジャンプ」する勇気が必要になってきています。そして、それをサポートできるのはマス系クリエイターだと思うんです。

「データドリブン・クリエイティブ」を実行するためには大きく3つのステップが必要です。

1.データの抽出。
2.データの解釈。
3.その解釈に基づいた表現立案。


上記の中で僕のようなクリエイティブディレクターが担当すべきものはどれか?

主には2の「解釈」パートだと思ってるんですね。

これは多くの人が誤解してることですけど、データはそれだけでは何の答えも生み出しません。マーケティングの寓話としてよく使われる話でこういうものがあります。

「アフリカの原住民に靴を売りに行ったら、誰も靴を履いていなかった。ここじゃ靴は売れないとあきらめるべきか、大きなマーケットが広がっているぞと期待するべきか」

原住民が靴を履いていない、というのはデータです。でもその解釈の仕方で戦略は180°変わるわけで、ここに経験値を積んだプロの直感、時代の流れの読み、ターゲットインサイトの読みなどと言った属人的能力が問われることになるのです。

これまでなぜデジタルとマスが寸断されていたのか。その要因の一つは上の2をやる「データドリブン・クリエイティブディレクター」が存在していなかったことがあったんじゃないか。自分はそれをやろうと考えているんですね。そして、データドリブン・クリエイティブは、じつはもう僕の周りで少しずつ始まっています。まだ現段階では詳細をお伝えできませんが・・・。

こう書いてくると、
「『ドリブン』と言ってもデータが主導権を持っているわけじゃないじゃないか」
と思われた方もいるかもしれません。その通りです。あなたは鋭い。主導権を持つのはあくまで「人」です。

だから本来的には「データベースド・クリエイティブ」と呼ぶ方が意味的には正しい。ではなぜ僕はあえて「データドリブン」という言い方をしているのか?そっちの方がなんとなく強くてカッコいいからです・・・。
《小霜和也》

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