角川ゲームス10周年を総括。ゲーム会社の作り方と育て方【オールゲームニッポン】 | GameBusiness.jp

角川ゲームス10周年を総括。ゲーム会社の作り方と育て方【オールゲームニッポン】

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テレビゲームの世界は、新しいデバイスや技術の普及によって、その形は大きく進化している一方、楽しさを追い求める姿は変わりません。変わるものと、変わらないもの。過去と未来。そして我々が宿命的に背負う日本という存在。なかなか考える余裕のない現代ですが、少しだけ立ち止まって一緒に見つめてみませんか? 毎月1回、「安田善巳と平林久和のオールゲームニッポン」ゆるーくお届けします。


山﨑
3月です。今月もオールゲームニッポン、よろしくお願いします。最近、私は取材で地方に行く機会が多くなっています。今、日本各地の自治体の方がゲーム会社の誘致やクリエイターの育成に取り組もうとされていて、私の関心分野なので全国を駆け回っています。

平林
いつもならば私も近況報告をするところですが、さきほど安田さんに伺ったら、角川ゲームスがもうすぐ10周年目を迎えるそうです。せっかく安田さんがここにいるんですから、今回は特別編ということで10年間を振り返ってみませんか?

山﨑
もしかしたら最近のスタートアップ企業の参考になるかも? ということで特別編、やってみましょう。ゲーム会社ができて、数々のヒット作を生まれるまでのドラマティックな展開。私も知りたいです。

安田
ありがとうございます。さっそくですが、角川ゲームスが設立されたのは2009年4月1日でした。当時の角川グループはゲームの開発力を強化して、自社が持っている有力IP(キャラクターや原作の知名度)をいかそうとする方針を立てていました。新規の事業会社がいくつか生まれましたが、僕がお誘いを受けて設立されたのが角川ゲームスでした。

平林
今でもそうですが、当時からテレビ、新聞、出版……既存メディアの会社はどうやってデジタル時代に対応していくのかが課題でした。そんなことを論じる際によく使われた言葉が「ワンソース・マルチユース」。ひとつのコンテンツを他のメディアで展開するのは勝利の方程式のように語られてきました。

安田
はい、「ワンソース・マルチユース」を目指していました。ですが、角川グループが保有する有力 IP は他のゲーム会社さんにライセンスアウトする契約もあって、一筋縄には行きません。そこで逆の発想でゲームから IP を生んできてはどうか? つまりオリジナルゲームを作ろうと、僕から提案することになったのです。

山﨑
その結果生まれたゲームが『ロリポップチェーンソー』ですか?

安田
そうなんです。IP を生むのであれば、グローバル展開できるハイエンドのゲームで勝負しようと思いました。こう言ってしまうと大きな賭けのようですが、リスクを減らすために別のディールを用意していました。全世界規模でゲームパブリッシュを行うワーナー・ブラザーズと提携して、かなりの開発費を投資してもらうことにしたんです。

僕が角川ゲームスで常に心がけてきたことは、自立自走型の経営です。事業子会社の場合、損益や配当面で親会社に貢献することがなによりも事業を継続する大前提となりますから。そのためには外部の資本とうまく組んで資金調達することも必要になってきます。そんなこんなで、『ロリポップチェーンソー』は角川グループにとってリスクは軽減されているわけですが、それでもなお社内では心配されていましたね。


山﨑
どうしてですか?

安田
角川は大きな会社ですが、やはり出版社なので一点のコンテンツにかける投資規模は小さい。しかも、出版物の開発期間は短くて、資金の回収も早く行うことができます。ところがハイエンドのゲームになると、リスクヘッジしているとはいえ投資額は数億円。しかも、開発期間は3年以上ということになるので、創業早々に「角川ゲームスは大丈夫か?」「きっと失敗するに違いない」と不安視されていました(笑)。ファイナンスに対する考え方の違いですね。

ですが、おかげさまで『ロリポップチェーンソー』はミリオンセラーとなりました。投資は回収でき、角川ゲームスは創業3年目から黒字経営を続けられるようになりました。ワーナー・ブラザーズのパブリッシングにより全世界60ヶ国での販売も実現して角川にとって新しいビジネスが生まれたプロジェクトになったと思います。

山﨑
『ロリポップチェーンソー』がヒットした後に出たのが「艦これ」ですか?

安田
いや、PlayStation Vitaで発売した『デモンゲイズ』があります。ダンジョンRPGというのはニッチなゲームジャンルですが、グローバル市場では固定ファンがいると考えていました。これが幸運にもヒット作になってくれました。ちょうどPlayStation Vitaの価格改定前に発売したのですが、競合タイトルが少なくて予想以上のセールスを記録してくれたんです。


平林
ダンジョンRPGの元祖。『ウィザードリィ』の愛好者としては印象深いタイトルです。

山﨑
『デモンゲイズ』ののちに「艦これ」(『艦隊これくしょん-艦これ-』)がリリースされたんですね。今でこそ大ヒット作の「艦これ」ですが発売当時はやはり不安ではなかったですか? 「旧大日本帝国海軍の軍艦を女性キャラクターに擬人化」と聞いて、はじめはどんなゲームになるのか想像もつきませんでした。

安田
最初は誰も興味を持ってくれなくて、細々とはじめたプロジェクトでした。ですが、ヒットした途端にヒーロー扱いになって驚きました(笑)。「艦これ」は天国と地獄、エンタテインメントビジネス特有の浮き沈みを経験させてもらうプロジェクトになりましたね。「艦これ」が生まれるまでにはいろいろな苦労がありましたが、いわゆる絵師の方たちを集めるのが大変でした。ピクシブやコミケでイラストレーターさんを見つけてスカウトするところからはじめたんですよ。


平林
そもそも旧海軍の艦名を実名で出す、というのは勇気がいることだったんじゃないですか。「艦これ」が登場するまえ、ゲーム業界では軍事ネタは一種のタブーのような扱いを受けていました。昔は『大戦略』シリーズなど、ウォーゲームは複数の会社が開発していましたが、2000年代に入ってからパタリと止まってしまいました。戦争のゲーム化に対して、世間の風当たりが強くなったせいです。ある関係者から「軍事をゲーム化すると、(イデオロギーが)右の人からも左の人からもクレームが来る」と言われたことがあります。

安田
もちろん、不安だらけでした。同じことは日本神話を独自に解釈した『ゴッドウォーズ』にも言えることですが、どこかで割り切って善意にゆだねるというか。クレームの心配ばかりではなく、良く解釈してくれて、それを楽しんでくれる人がいることを信じないと個性的な作品は生み出せないですね。

平林
角川は「艦これ」の大ヒットの後にフロム・ソフトウェアを買収し完全子会社化しました。この買収案件をリードしたのも安田さんでしたね。

安田
はい。フロム・ソフトウェアの創業者、神(直利)さんとの交流の中で生まれた産物ですね。世界的に評価されているゲーム開発スタジオが良い形で世代交代でき、またつくりたいものをつくれる環境づくりに貢献できればとの想いでお引き受けしました。

山﨑
で、2014年の年末になると我らのオールゲームニッポンがスタートしました。

平林
世界市場は大きい。日本市場は小さい。海外のクリエイターは優秀。日本のクリエイターはイマイチ。そんな声が当時はあちこちから聞こえてきました。いやいや、日本的なゲームは捨てたもんじゃない。海外で売れるものをつくるぞ、と肩肘に力を入れなくても日本らしいゲームが世界で勝負できるんじゃないか。幸いにも世界各地に「日本好き」が増えてきている。そんなことを訴えたくてこの対談がはじまりました。

安田
懐かしいですね。そうでしたね。東日本大震災をきっかけにして、僕自身が新たな想いで日本古代史の研究をするようになり、それが『ゴッドウォーズ』につながりました。また、僕の生まれ故郷である島根県松江市からお声がかかり、地域振興のお役に立てればと思って開発したのが『ルートレター』でした。


どちらもゲームジャンルは世界の流行からははずれて、日本独自に発達したタクティクスRPGとテキストアドベンチャーです。それでもグローバル市場で売れ、海外のユーザーの皆さんからも高い評価が得られて満足しています。


山﨑
ものすごいスピードで10年間を振り返っていただきましたが、安田さん自身の今後の抱負を聞かせてください。

安田
まずは、現在開発しているゲームを地道につくること、また角川ゲームスから生まれた人気IPをきっちりと育てていきたいですね。その上で、コンソールゲームとかモバイルゲームとかの枠を超えて、ゲームの未来にかかわる新しい仕事を開拓していきたいです。

山﨑
今回は特別編。私がまだゲーム業界に入っていない頃のお話がうかがえました。どうもありがとうございました。

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《平林久和@インサイド》

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