CC2・松山洋氏が語る「熱い現場の働き方と未来へのメッセージ」・・・黒川塾(32)をレポート | GameBusiness.jp

CC2・松山洋氏が語る「熱い現場の働き方と未来へのメッセージ」・・・黒川塾(32)をレポート

1月28日、第32回目となる「黒川塾」がデジタルハリウッド大学にて開催されました。今回のゲストはサイバーコネクトツーの松山洋氏。「熱い現場の働き方と未来へのメッセージ」をテーマに、大きく盛り上がったイベントの様子をお届けします。

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1月28日、第32回目となる「黒川塾」がデジタルハリウッド大学にて開催されました。今回のゲストは、『.hack』シリーズ、『ナルティメットストーム』シリーズなどを手がけた、サイバーコネクトツーの松山洋氏。「熱い現場の働き方と未来へのメッセージ」をテーマに、大きく盛り上がったイベントの様子をお届けします。

サイバーコネクトツー・松山洋氏

黒川文雄氏



■異色の経歴、その理由は

ゲーム業界に入る前、コンクリートの二次製品を取り扱うメーカーで3年間営業職に就いていた松山氏。なぜ、そのような珍しい経歴を持つに至ったのか、その理由から話は始まりました。
松山氏の母校は「NARUTO」の岸本斉史氏など、著名なクリエイターたちを輩出している九州産業大学。九州中のクリエイティビティ高い人物が多く集まるこの大学では、デビューを夢見る若者たちが大学を辞め上京をするも、そのほとんどが社会の常識についていけず戻ってきてしまったといいます。「このままだと自分もそうなってしまう」と感じた松山氏は、まずはしっかり就職をし、社会の常識を知ろうと先述のコンクリート会社に入ったと語りました。


■サイバーコネクトの設立


今から20年前、サイバーコネクトツーの前身、サイバーコネクトという会社が発足しました。創立メンバーは松山氏を除く全てが有名アーケードゲームの開発に携わっていたというそうそうたるもの。しかし、当時はまず独立という時代。資金はなく、相当につらい時期だったそうです。さらに、松山氏は「間違ったボタンを押すと爆発する」と本気で思っていたほどにPCに関する知識を持っておらず、Windowsを理解するのに3日かかった、Ctrl+Cでコピーしたデータは指先に溜まると思っていた、などのPC苦労話を語っていました。

しかし、本当にクリエイティブに必要なことは、知識ではなく行動力やコミュニケーション力、そしてアイディアを形にできる力だと松山氏は語っていました。


■『テイルコンチェルト』の発売

先述の通り、資金難だったサイバーコネクトで松山氏がまず行ったのは、大手ゲームメーカーへの企画書の送付。当時の起業ブームも合わさって、意外と反応はよく、数社から返事があったそうです。その中で、サイバーコネクトが最終的に契約したのが当時のバンダイ。そして、処女作『テイルコンチェルト』が発売されました。

ちなみに余談ですが、松山氏が企画書を送ろうとした十数社の中に、一社だけ会社の連絡先をまったく公開しておらず、企画書の送付先がわからない、いわゆる「鎖国状態」の会社があったそう。また、昔のファミコンゲームなどで、スタッフロールにハンドルネームのような名前が記されているのは「引き抜き防止」のためだったと語りました。


■サイバーコネクトツーの社長に


その後、サイバーコネクトの社長が辞めることになり、解散か社長となるかを迫られ、社長となった松山氏は「サイバーコネクトツー」として新たなスタートを切ります。社長という重役に対して、松山氏はプレッシャーをほぼ感じなかったといいます。むしろ、「これで好きにやれる、全部自分で責任を取れる」、「目の前に広がる地平線にワクワクした」と喜んだとのこと。そして「人の痛みがわかる人間」にはなってはいけないと語り、スタッフの体よりもスタッフの夢を心配できるような人間ではないと社長をやってはいけないと自論を展開しました。


■生きた情報を持っているのは「人」

メディアに出ている、誰でも知ることができる情報は「死んだ情報」であり「生きた情報」は人が持っていると松山氏は語ります。これは3年間のコンクリート会社勤務で得た教訓。しかし、松山氏はコンクリート会社勤務中はそのことを一切気に留めておらず、社長をやるようになってから初めてその意味を思い知り、反省していたと語りました。


■「何が起こるかわからない」ゲーム業界

トークの中でゲーム業界の遍歴にも触れた松山氏。任天堂がカートリッジで躍進する中、ソニーが媒体をCD-ROMに移しメディア・流通革命を起こし、開発への参入ハードルを下げるなど様々な施策を行い、ソニー、そしてプレイステーションが業界でトップに躍り出ます。しかし、その後はニンテンドーDSのヒット、そしてスマートフォンの台頭など、予測できないことが起きる変幻自在なゲーム業界。松山氏は「ライフスタイルに合ったもの」、「新しい物が創りだす、新しい感動」がムーブメントを作っていると語りました。また、日本が作ったゲーム文化が海外に押されていることにも言及。松山氏もゲームに携わる人間として、やはり危機感は感じているようです。


■努力はしていない


年間、大量の漫画やアニメ、映画などを見ているという松山氏。よく人に「大変ではないのか」と言われるが、好きでやっていることであり、努力してやっているというわけではないといいます。そして、それを「頑張ってやらないと」と思ってしまう人はこの業界に向いていないとも語りました。

むしろ、松山氏が頑張っているのは「人前に出て話すこと」。自ら前に出て軽快に喋っている姿からは想像のつかない言葉ですが、緊張もするし、人見知りもかなりするとのこと。トークの後もしっかり反省しているそうです。


■世の中の不平不満がニーズになる

サイバーコネクトツーがキャラクターゲームを手掛けるようになったきっかけに、任天堂・宮本茂氏が講演で語った、「世の中の不平不満にこそニーズがあり、それを解消すれば不満はなくなり、さらに喜んでももらえる」という話があるといいます。例えば、ゲームばかりやっていると頭が悪くなるという説に対して『脳を鍛える大人のDSトレーニング』を作り、ゲームばかりやっていると眼が悪くなるという説には『見る力を実践で鍛える DS眼力トレーニング』を作り…。松山氏は任天堂のそのような部分に感銘を受けたといいます。子供の頃からキャラクターゲームに納得のいっていなかった松山氏は、クォリティーの高いものを作ることができれば、そのジャンルの金字塔になれる、と思いキャラクターゲームを手掛けるようになったそうです。

また、松山氏自身も、ものづくりの根幹の部分に不平不満や憤りがあると言い、松山氏を動かす原動力には「怒り」があると語りました。


最後に、松山氏は「20周年を迎えたサイバーコネクトツーは、新しいステージで、新しい物を、みなさんと一緒に楽しんでいくため、24時間365日休みなくエンタメを追求していきたい」と会を締めくくりました。


ゲーム開発に多大な熱量を持って挑む松山氏が率いる、サイバーコネクトツー。講演の途中では、松山氏のディレクションではない新たなタイトルが、今年発表されるとの話もあり、同社の「猛獣のようなスタッフ」の鎖を解き放つような作品、との説明がされました。今後も松山氏そしてサイバーコネクトツーの動きには注目していきたいですね。
《末永 拓也》

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