【CEDEC 2009】「慣れると死ぬぞ」富野由悠季氏がゲーム業界に向けた厳しくも優しい言葉 | GameBusiness.jp

【CEDEC 2009】「慣れると死ぬぞ」富野由悠季氏がゲーム業界に向けた厳しくも優しい言葉

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CEDEC 2009、2日目の基調講演に立ったのは、「機動戦士ガンダム」などのアニメーション作家として知られる富野由悠季氏。
  • CEDEC 2009、2日目の基調講演に立ったのは、「機動戦士ガンダム」などのアニメーション作家として知られる富野由悠季氏。
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CEDEC 2009、2日目の基調講演に立ったのは、「機動戦士ガンダム」などのアニメーション作家として知られる富野由悠季氏。"ゲーム嫌い"とも言われる冨野氏がゲーム開発者を前にどのような話をするのか、ホールには入りきれないほどの聴衆が集まりました。

「僕はゲームを白眼視している」という言葉から講演はスタートします。元々映画を目指したという冨野氏。しかし冨野氏が大学を卒業した約40年前はテレビが全盛期に向かう時期、煽りを受けた映画業界は衰退し、仕事もなく求人もないという状況。それで広告代理店で映像の仕事をするものの、映画界から見ればそれは「2流」であり、更にテレビ番組は「地に落ちた仕事」、そしてテレビアニメなど「最下層の人間がするもの」という見方をされていたそうです。自然と冨野氏は映画界への劣等感を持ち、それをバネにしてきたと言います。

加えて冨野氏が強く訴えたのは、技術の伝承がなされなかったということです。アニメは映画界から見下されていて、その技術は継承すべきものに感じられたが、そうはされなかったということです―――「当然やるべき先輩の仕事をしてなかった」。―――それは繰り返される必要はない、「ゲーム業界よりは前にあった産業に従事する者として、前の世代が経験したことを伝えるのは無駄ではないだろう」ということで、冨野氏は招聘を2度断ったCEDECにやってきたそうです。

ゲームへの冒頭の発言に関しては、むしろ自分への言葉のようです。「20年前に電子ゲームが出てきました。そのビッグビジネスに参入したい、時代遅れになりたくないという気持ちがありました。それでどうなったかは御覧の通り。やってみたけどできなかったし、大手メーカーも呼んでくれませんでした(笑)。もう今更70歳の人間は使い物にならないと思うので、いいですが。白眼視はしてます。誰も入れてくれなかったし、優しくしてくれないし(笑)」

■慣れたら死んじゃう

講演のタイトルは「慣れたら死ぬぞ」です(これは打ち合わせでポロッと言った言葉が拾われてしまった、ということらしいですが)。冨野氏の生んだガンダムも30周年を迎えました。振り返ったそうです、そして「昔から同じ事を繰り返している」と結論付け、いかにすれば今後30年間を戦えるコンテンツにすることができるか考えたそうです。冨野氏は、どのようなコンテンツでも同様のことが言えるとして、常に原理原則を持って考え、立ち返り、そのコンテンツを考える事が重要と言います。ただし、原理主義者になってしまうと次に進めなくなると警告しました。

そこでゲームの根本は何かというと冨野氏流に言えば「ゲームは悪」であり、日常生活に必要ないものです。テレビが1億総白痴化と呼ばれた時代を振り返り、100億総白痴化に手を貸し、生産活動から人々を遠ざけ、地球を滅ぼす手助けをしていると喝破。さらに、新しいハードの様式に合わせるだけで、なんとなく良い物を作ってる気になっていて、なんとなく売上も維持されているが、『テトリス』のような本質的な面白さを提供するものは殆ど登場していないと批判。「こんな生意気な事を言う奴はステージが引きずり下ろしてやる」という気概を持ってゲーム作りに励んで欲しい、と冨野流のエールを送っていました。

冨野氏も「アニメの仕事をしてる奴はずっと机にかじりついている」と陰口を叩かれながら、「あのジジイを黙らせるためにずっと頑張ってきた」とコメント。目標を徹底的に高みに設定すれば、その1/100でも時代のトップになれるかもしれないと話しました。

■個性という問題

次に議論に上がったのは「個性という問題」です。ここで富野氏はハンナ・アーレントという政治哲学者の「人々は17世紀のルネッサンスまで物事を判断できなかった」という言葉を紹介します。なぜなら、彼らは宗教を信じ、常に宗教の原理原則に戻って物事を決めており、それは判断ではない、ということです。17世紀以降、ガリレオなど次第に観察して物を考え、判断する人が出てきました。富野氏の議論は、「自分に才能がないことを信じろ」ということです。才能があると信じれば、自分の好み、やり方で上手くいくと考えてしまいます。富野氏は器用貧乏も自己陶酔型も駄目で、人が持って生まれた才能だけでは1つのプロジェクトも完遂することはできないと指摘。今の環境で、どのような立場にいるか観察しなくてはならない。偉い人、能力のある人の言うことも聞かなくてはいけないと話しました。―――私も今そうしている、なぜなら、お前らと一緒に仕事がしたいから。

人々は「習い症」になりがちだと言います。過去の成功体験は決して捨て去り辛いものです。例えば週刊少年ジャンプ。1994年に最高部数を記録しましたが、徐々に下落。巻き戻しに様々な施策を用意し、「ワンピース」や「ナルト」が登場し、人気は持ち直しますが、全盛期は夢の向こうです。しかし「人は夢をもう一度をしょっちゅうやる」と指摘。出版そのものが落ち込んでいて、既に全盛期からは年月が経ち、そうした夢を追い求めるのは「判断力がない」と言います。日本の映画界が衰退し、ハリウッドも衰退する。その中で「習い症」をいかに突破するのか。原理原則を考えろというのは元に戻れという意味ではなく、初心を忘れず、いかに新しいものに挑戦するか、それが課題であると言います。

■ツールを道具として

最後に富野氏が話したのはツールの話です。「我々はツールを使いこなすことに振り回され、本来的なものに迫られていなかったのではないか」ということです。例えばコンピューターグラフィックスの世界。富野氏は「ついにCGも理工学系の仕事からデザイナーの仕事になっちゃったんだよね」という東大の先生の発言を引用し、それはつまり、ツールを使うのに特別なスキルが要求され、それを使いこなして、どのようなデザインをする、という世界はようやく開けてきたに過ぎないのではないかということです。それは映画界の巨人も同様で「ピクサーも理工系の連中がやってきた作画を踏襲しているようにしか思えない」と指摘、ゲームも同様だとしました。

富野氏はこれを戦艦大和に例え、「作ったはいいが、それをどう使うは考えてなかった。建造計画が出たときには、大きな戦艦は必要ないという戦術になってしまったのに当時で20兆円くらいのお金をつぎ込んで作ってしまった。それは現代にも同じことが言えるのではないか」と話します。CGツールやプログラムを使うことだけに囚われ、10年後にも通用できるくらいのコンテンツを作るという初心を忘れてしまったのではないか。それが出来ていればとっくに『テトリス』を超えるものができていたはずだ、と。その意味で、複雑な道具は怖く、習得することに囚われてしまいます。ここからどう突破するかは「皆さんが考えられるはず」と話してくれました。

厳しい言葉を織り交ぜながらも、ゲーム業界に対する暖かい目を向けた富野氏。大きな拍手で送られました。
《土本学》

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